2020年02月

2020年02月28日

「竜の道 二つの顔の復讐者」玉木宏、高橋一生4月ドラマ共演



カンテレ・フジテレビ系の4月期火曜よる9時ドラマ
「竜の道 二つの顔の復讐者」
4月14日から始まります。
主演の玉木宏さんと初共演の高橋一生さんが
なんと双子役だと言うことです


原作は2015年に急逝した作家白川道(しらかわとおる)さんの
未完の同名小説です。
脚本は篠崎絵里子さん、音楽は村松崇継さんです。

ドラマ版はオリジナル展開とともに双子の竜一、竜二の養父母を
死に追いやった運送会社社長への
波乱に満ちた復讐劇を結末まで描いていくそうです。

兄竜一は顔も名前も心も捨て裏社会に
弟竜二は権力を手に入れる為官僚に
双子だけの秘密を抱え二人の竜が復讐の道を突き進みます



人生かけるほどの憎しみとはいったい何なのだろう?
全てを犠牲にしても守りたいと願う愛情とは?

わぁ面白そうですとっても楽しみです




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wxy812 at 16:39|PermalinkComments(0)連ドラ | 高橋一生

天保十二年のシェイクスピア公演中止!残念です!



本当に残念な事ですが「2020年天保十二年のシェイクスピア」は
昨日2月27日が最後の公演になってしまいました。

まさかこのような終わり方をするとは思ってもいなかったです。

新型コロナウイルスの感染状況と政府の感染症対策本部の方針に鑑み
公演中止となってしまいました。

不可抗力であるので致し方ありません。

四の五の言ったところでどうにもならないことです。

本日観覧した方のツイートによりますと
座長として高橋一生さんが最後の挨拶をされたようです。

皆さんの報告を拝読しますと
一生さんは「無念」という言葉でご自分の気持ちを
表現なさったようです。

舞台を立ち上げるのには企画、営業的にはもちろん
脚本家、演者、演出家、作曲家、大勢の裏方など
あらゆる分野の方たちが相当な時間を費やし
各自スケジュール等万端の調整もし、体調も整え
満を持して漸く初日を迎えるのです。
主催者、劇場側の決断も断腸の思いであったであろうと想像します。

一生さんも座長として並大抵ではない想いを持っていたはずです。

東京公演を後2日残し来月の大阪公演は完全に中止となりました。

私自身あと一回なんとか観に行きたくて
算段がつきかかっていただけにほんとうに残念でした。

大阪公演を楽しみにしていた方達のお気持ちを考えると
今ここで表現致しかねます。

そして本日28日は先行予約のBlu-ray /DVDの収録日だったそうです。
ですから現在観客ゼロの状態で
カンパニー全員で収録の為の舞台を努めている最中だそうです。


なんとも切なく胸が痛むような心境になります。
観客の居ない劇場でのお芝居はいかばかりだったでしょうか。






27日の公演終了後の高橋一生さんの挨拶は読んでいて涙が出ました。

今回のこの舞台だけではなくこれからの「お芝居」という分野全体への
一生さんの想いがほとばしっていました。

私も人間の想像力はなくてはならない大事な能力だと想います。
これが乏しい人間は恐ろしい事、無責任な行動にも
簡単に陥ってしまいます。
お芝居、音楽等は娯楽と言われ軽く扱われがちですが
肉体を育む食べ物と同様、心を育む大事な栄養だと思います。
お芝居を観てわかるように、音楽を聴いてわかるように 
想像で頭の中がいっぱいになります。

想像力があるからこそ人間の心に優しさや思いやりが生まれるのです。

今回は新型コロナウイルスの治療が確立されていないという状況で
対策に添ったという事ではあるのですが
エンタメ分野は何かあるとすぐに削られる運命にあります。
体にも心にも栄養が行き渡ってこそ
バランスのとれた人間になれるのだと思います。

一生さんのご挨拶にもございますように
想像力を共有しにお芝居を観に行きましょう

カンパニー「2020年天保十二年のシェイクスピア」の皆様
最高の舞台本当にありがとうございました。
のめり込んで舞台を観覧したのは初めてでした。

いろいろな想いを一層深めた作品として
Blu-ray が手元に届く日を楽しみにしています。









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2020年02月24日

天保十二年のシェイクスピアを再び観て思った事

天保十二年のシェイクスピアの初見は
公演2日目2月9日のマチネでした。

そしてあれから約2週間経ちました
一昨日2月22日のマチネを観覧してきました。

前回はオペラグラスで一生さんの三世次を
興奮状態で見漁っていたと言うこともあり
舞台の全体像を掴み取る余裕はなかったと自覚しています。

しかし今回はのめり込んで観ることができました。
笑ったり、涙ぐんだりしながら
3時間35分という上演時間が2時間位にしか感じませんでした。



私が天保十二年のシェイクスピアの作者井上ひさし氏を認識したのは
NHKで1960年代に放送された「ひょっこりひょうたん島」という
人形劇の原作者というところからです。

当時井上氏はメディアでの露出度が高かったような記憶があります。
幼かった私はひょうきん顔のおじさんという印象をもちました。
お笑い系の方?と誤解していた時期が少しあります。
後にこまつ座の存在を知り熊倉一雄さんとの関係も知りました。

しかし井上ひさし氏の作品を手にとり読んだことはありません。

この天保十二年のシェイクスピアという戯曲の存在も
今回高橋一生さん出演という事がなければ知り得なかったと思います。

私自身の舞台の観覧記憶と言ったら
中学生時代のミュージカル「ヘアー」と
20代の頃京王プラザホテル前の
大きなテント小屋での「キャッツ」と
その他数えても両手で足りる位乏しいものです。

ところが今回この舞台を観覧することになり
もし私が母の介護と言う役目を担っていなければ
際限なく通っていただろうと思います。
それほど面白く舞台という分野に目覚めてしまったと思われます。


天保十二年のシェイクスピアは音楽劇とあるだけに
舞台後方では作曲の宮川彬良氏自らが加わっての
生演奏という贅沢さです。
この音楽がとってもセンスが良く
まるで井上氏が意図していたかの如く
心地よい音階と共に躊躇のないことばが
私の耳に胸に染み込んでいくのを感じました。

ブルース、ボサノバ、昭和歌謡と曲調にも富んでいて
特に私は「賭場のボサノバ」
「もしもシェイクスピアがいなかったら」は
すでに鼻歌になってしまうほど染み込んでしまいました。

三世次の「ことばことばことば」きじるしの王次の「問題ソング」
などは井上氏の歌詞の意味深さが聞きながら観ながら伝わってきます。

音楽を聞きながらダイナミックな舞台装置にも目が奪われます。
舞台観覧の乏しい初心者なのですが斬新な舞台装置だと感じました。



特に鏡仕様の装置は観客をも映し出すというもので
舞台上の鏡に観客席が映された瞬間
なぜか気恥ずかしさと後ろめたさを感じてしまったのは
なぜなのでしょうか

自分を自覚できなくなっている三世次が
鏡を観て自分の醜さを改めて自覚し驚き嘆いたように
舞台の中の世界を他人事だと思うなよという
まるで挑戦状を突きつけられたような気がしました。

役者さんは言うまでもなく精鋭揃いで
2005年の蜷川幸雄版でも隊長役を務められた木場勝己さんは
実に素晴らしく語り口調を変化させながら
観客を舞台を引っ張っていきます。
プロローグで昨今の時事ネタを交えながら述べ
草草に観客を引き込みながら舞台へと誘う様はお見事でした。

梅沢昌代さんはいわずもがな大活躍の方ですし
辻萬長さんしかり、ミュージカル界の星浦井健治さんは
きじるしの王次で暗黒の三世次の対岸に居る
正に輝く星のような存在の役でした。

登場とともにキラキラとした
存在感のある役者さんであることがわかります。
きじるしの王次の登場により
三世次の色がますます暗く黒く淀んでいくのです。

そして今回の佐渡の三世次は高橋一生さんです。
歴代の三世次は川上隆也さん、唐沢寿明さんが演られています。

一生さんの三世次は哀愁を漂よわせながらも
鋭い目つきが獲物を狙うが如く次から次へと
刃物より大量殺傷することのできる
「ことば」と言う武器を操り出世していきます。

自分の醜い顔と体、抱え百姓という身分の出である三世次は
自身の存在を嫌と言うほど自覚していました。

だからこその、三世次の生き方なのだと感じました。

三世次は自身の存在を周りから蔑まされ
優しく愛された事がなかったのでしょう
世の中への捉え方が歪むのも無理はないように思いました。

三世次が「全てを相対化した時俺は初めていくのだ」と
嫌がる遊女を相手に行為をしながら歌った時は
自身を自覚する三世次がそこに居たのです。



しかし三世次は出世し代官になったは良いのですが
自分が見えなくなるのです。

阿漕な年貢の取り立てをし、百姓出身の三世次が
百姓の期待を裏切るのです。

結局三世次は好きな女に自分自身を突きつけられ
しかもその女と交わる事もなく
自身と同じ出身の百姓達にとどめを刺され
最期を迎えます。

私は舞台を観ながら
「ああ!三世次!これで楽になるね!もういいよね」
と思うのですが‥
なんでしょう‥結局三世次の一代記なのでしょうが
多分そんなに簡単なものでは無いのかもしれません。

私は不勉強な人間でシェイクスピア作品は「ロミオとジュリエット」
「ハムレット」「リア王」位しか読んだ事がありません。
シェイクスピアのパロディであることを全て気づいたわけではない
この私でも充分楽しめる舞台であり
しっかりとした骨組みの戯曲である事は言うまでもないのですが
こうやって思い出してみますと三世次の一代記というだけでは
腑に落ちない何かを感じてしまうのです。
まあ捻くらなくてもいいのでしょうが
まだ私には気がつかない何かがあるはずです。

「天保十二年のシェイクスピア」という戯曲を研究したくなります。
井上ひさしさんの本も読んでみたくなります。

又観たい‥





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