2022年04月

2022年04月18日

母の病状最終回

少しひんやりとした4月14日の夕方
母は実に静かに、あっけなく旅立ちました。

14日の午前中、母の体を清拭して頂いた訪問看護師二人が
私の連絡を受け、その日の午後5時頃、再び訪れ
母の状態を確認し在宅クリニックへ連絡
20分少し経って在宅クリニックの医師が到着し
母の死亡を確認、そして時間を告げ死亡宣言をしました。

覚悟はしていましたが「えっ!今日なの?」という想いでした。

4月6日のリハビリの日は
作業療法士の方が母に桜を見せたいと
車椅子に母を乗せ、私も一緒に近くの公園へ行ったのに‥

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2月初旬にショートステイ先の介護施設から
大学病院へ救急搬送された母は
2週間後に退院したものの、持病の悪化で体重はますます減り
傍目にも衰弱しているのがわかりました。

14日の朝、母にあてたオムツを替えると
2日前から始まった激しい下血が、医師の処方した止血剤により
大分穏やかになり「ああ‥良かった」と胸をなでおろした私は
「11時に訪問看護師さんが来るからね」と母に告げました。
母は私の眼を見て頷きました。

12,13日のオムツ替えの状況は
私にとって、それは壮絶な状況でした。
血便の上、作業中にドロっと血液が流れ出てくるのです。

経験の無い私はその状態を見た途端パニックになり
手が震え、心臓をドックンドックンとさせ
右往左往しながら、何とか処置を終えると座り込みました。
気がつくと汗びっしょりでした。

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4月に入ってからの母は
夜中にパッチリと眼を開き誰かに話しかけているように呟いたり
ベッドから降りようとするなどの行動をとるようになりました。
紙パンツを着用し、トイレで用を足す事がほとんどでしたが
とうとう紙おむつとなりました。

しかし、難局を乗り越え、なんとか在り続けてきた母でしたので
覚悟はしていましたが、どことなく、この期に及んでも尚
楽観視していた節が私にはありました。

14日は、本来なら訪問入浴の予定でしたが
母の状態が良くないので今回はキャンセルし
代わりに看護師さん二人が母を全身清拭、洗浄をしてくれました。
着替えもして頂き、母はさっぱりとした顔つきになりました。

「さっぱりして良かったね」と私が言うとこっくり頷きました。

看護師さんが帰る頃にはお昼になっていました。

「水飲む?」と私が聞くと「いい」と首をふり
「じゃぁ、アイスは?」と聞くと頷きました。
昨日、ハーゲンダッツのバニラを一個食べた母でした。

ところが、アイスをふた口食べると口を開きません。
私が「もういいの?」と言うと「いい」と言葉を発しました。

思えばこれが私と母が交わした最後の会話でした。

私の人生で一番付き合いの長い大事な人なのに‥
なぜずっと母の部屋に居なかったのだろう‥

体がさっぱりして気持ち良さげで、穏やかな母の表情を見て
私は安心してしまったのです。

私は居間でゆっくり昼食を摂り、録り溜めたたビデオを思いの外
長い時間見ていました。

ふっと我に返り時計を見ると午後3時を回っていたのです。

お茶を飲むかな?と、慌てて母の部屋へ行くと‥
すでに母の眼は半開きで焦点が定まらず
下顎を動かし息をしている状態でした。

「おかあさん!おかあさん!」と何度よんでも、叫んでも
反応はありませんでした。

5,6っ歩で母の元へ行ける場に居た私は
いったい何をやっているんだ!

わかってはいます。
このような事は私に限らず星の数ほどあると言うことを‥
しかし星一つ一つ、それぞれの事情を抱え健気に存在しているのです。

父、夫、義理の父母、そして母‥
優しくしようと思っても、優しくできなかった‥

いつも、いつも後悔ばかり。ばかだな、私‥
ごめんね。お母さん‥

それにしても、母は本当によく頑張りました‥91歳かぁ‥

葬儀は21日に決まりました。

私の体に、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったような‥

胸の奥がシクシクとします。




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wxy812 at 20:38|PermalinkComments(0)生活 | 思うこと