「恋せぬふたり」第3回「恋せぬふたり」第4回

2022年01月27日

タクシーの人格‥?

私の生まれ育った家には車はありませんでした。
大正生まれの亡き父は若い頃、車の運転はしていたのですが
事故を起こしたのをきっかけに運転はやめたそうです。

思えば生まれた頃からずーっと今の今まで
駅から歩いて7~8分という場所に住居があり
移動には最寄りの駅から電車に乗った方が早いので
免許を取得するという意識も、車への憧憬も
昔からありませんでした。


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ですから母の通院のたびに
私はタクシーの配車を頼みます。

実弟は車の免許は取得しておりますが仕事があります。

頻繁にタクシーを利用していろいろ思った事があります‥

乗車するとタクシーの狭い空間そのものに
気質のようなものを感じます。
ですからタクシーによって対応の仕方に違いがあり
運転手さん込みで、タクシーという存在自体が
まるで生き物のように思えてしまいます。

よろよろと座席から立ち上がった母が
私の介助で歩き始めた途端
閉まるドアが母の体に当たりよろけるという事が
今までに数回ありました‥先を急ぐあまりの事なのでしょうね‥
乱暴なタクシーに遭遇した事もあります。

タクシーの椅子にやっと座り、奥へ躄れない母をそのままに
私は跨いで奥の席に座ります。
察知して反対側のドアを開けてくれるタクシーは少数です。
言えばよいのでしょうが、面倒なので跨いで乗ります。

かと思いますと
乗車する足の悪い母の状態を見ると、すぐに判断し
旗竿敷地である実家の私道へバックで入り
母を公道まで歩かせる事なく優しく乗車させてくださる
タクシーもいます。

乗り降りに「気をつけて」「大丈夫?」と
気遣って下さるタクシーも‥

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通院の行き帰りのタクシーは母と私にとって、頼みの綱です。

頼みの綱であるタクシーに優しくされたり、冷たくされたり‥

タクシーから降りて無事帰宅すると母も私もぐったりです。

タクシーの「人格」のようなものに翻弄されます。

介護タクシーも時々利用しますが予約しなければならず
なんとなく難儀だし、気楽ではありません。

通院の度に私は自分の力のなさを痛感します。
ああ、なんで車の免許を取得しなかったんだろうと
今になって初めて後悔という念がわいてきます。







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wxy812 at 20:40│Comments(0)生活 | 思うこと

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