2022年08月16日
母の新盆
私が育った、父と母が営む家にはお仏壇がなく
結婚するまで、お盆は単にお盆休みというだけの認識でした。
もちろん両親の実家へ行けば祖父母が受け継ぐお仏壇はあり
もし、お盆の時期に出向く事があればお盆という行事を
しっかりと体験していたのかもしれません。
しかし、私の両親はお盆の時期は交通機関が混み合うという理由から
私達一家は夏休み前半にお互いの両親の実家へ
遊びに行くというのが恒例となっていました。
今思えば当時、移動するにあたり交通機関はさして混み合う事もなく
のんびりと、駅弁を食べながらの列車の旅を楽しんだ記憶があります。
しかし、結婚後、夫の実家で迎えるお盆は
盆棚と盆提灯を設え祖先の霊をお迎えし、もてなすという
昔ながらのお盆を過ごすものでした。
お盆という行事をしっかりと自覚することとなりました。
お寺とのお付き合いが密な義父母に連れられ
8月に入りますと盂蘭盆会と合わせ施餓鬼会へ参加しました。
お盆はもともと先祖だけでなく餓鬼にもお供えをするというものなので
この時期に行う事が多いそうです。
10月の日蓮聖人の命日のお会式なども毎年参加しておりました‥
婚家と同じ宗派の実家の菩提寺からも
今年も施餓鬼会のお知らせのはがきが届きましたので
義納金と卒塔婆申込みと付け届けをお送りしました。
遠方なのでなかなか直接には行けません。
菩提寺が近ければ合同の新盆供養に参加するのでしょうが
自分たちなりに執り行いました。
夫も父もそうしたように新盆の時だけの白紋天という
白張り提灯を玄関につるしました。
私は12日に盆棚を設えました。
まずは仏壇の大掃除をしてから、盆棚にお位牌を並べ
盆提灯を組み立てお花を飾ります。
ご先祖が迷わぬように13日の夕方麻幹を焚き
特に新人の母のためには玄関の白紋天を灯し
仏間の盆棚の周りの盆提灯にも明かりを灯しお迎えします。
盆棚には仏様達の好物だった酒、ビール、お茶
五目寿司、枝豆、饅頭、煎餅、果物等を供えました。
14日には叔父、叔母が立派なフルーツの籠盛りを供えてくれました。
新盆と言う事で久しぶりに、賛否両論の笠原将弘さん流宅配弁当を
届けて頂きました。
私、叔父夫婦、弟夫婦5人は、換気を充分にし
サーキュレーターを設置した部屋で食事をしました。
美味しいお弁当のお陰様で話も延々とはずみ
特に叔母は今まで溜まっていた鬱憤が吹き出るが如く
やめられない止まらないという状態で夕方5時に突入した頃
叔父がブレーキを踏み、お開きとなりました。
母が亡くなり、初めて聞くような話も多く
私も弟夫婦も以外な話を興味深く楽しく受け止めました。
とってもいい時間をお盆が提供してくれたような気がしました。
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結婚するまで、お盆は単にお盆休みというだけの認識でした。
もちろん両親の実家へ行けば祖父母が受け継ぐお仏壇はあり
もし、お盆の時期に出向く事があればお盆という行事を
しっかりと体験していたのかもしれません。
しかし、私の両親はお盆の時期は交通機関が混み合うという理由から
私達一家は夏休み前半にお互いの両親の実家へ
遊びに行くというのが恒例となっていました。
今思えば当時、移動するにあたり交通機関はさして混み合う事もなく
のんびりと、駅弁を食べながらの列車の旅を楽しんだ記憶があります。
しかし、結婚後、夫の実家で迎えるお盆は
盆棚と盆提灯を設え祖先の霊をお迎えし、もてなすという
昔ながらのお盆を過ごすものでした。
お盆という行事をしっかりと自覚することとなりました。
お寺とのお付き合いが密な義父母に連れられ
8月に入りますと盂蘭盆会と合わせ施餓鬼会へ参加しました。
お盆はもともと先祖だけでなく餓鬼にもお供えをするというものなので
この時期に行う事が多いそうです。
10月の日蓮聖人の命日のお会式なども毎年参加しておりました‥
婚家と同じ宗派の実家の菩提寺からも
今年も施餓鬼会のお知らせのはがきが届きましたので
義納金と卒塔婆申込みと付け届けをお送りしました。
遠方なのでなかなか直接には行けません。
菩提寺が近ければ合同の新盆供養に参加するのでしょうが
自分たちなりに執り行いました。
夫も父もそうしたように新盆の時だけの白紋天という
白張り提灯を玄関につるしました。
私は12日に盆棚を設えました。
まずは仏壇の大掃除をしてから、盆棚にお位牌を並べ
盆提灯を組み立てお花を飾ります。
ご先祖が迷わぬように13日の夕方麻幹を焚き
特に新人の母のためには玄関の白紋天を灯し
仏間の盆棚の周りの盆提灯にも明かりを灯しお迎えします。
盆棚には仏様達の好物だった酒、ビール、お茶
五目寿司、枝豆、饅頭、煎餅、果物等を供えました。
14日には叔父、叔母が立派なフルーツの籠盛りを供えてくれました。
新盆と言う事で久しぶりに、賛否両論の笠原将弘さん流宅配弁当を
届けて頂きました。
私、叔父夫婦、弟夫婦5人は、換気を充分にし
サーキュレーターを設置した部屋で食事をしました。
美味しいお弁当のお陰様で話も延々とはずみ
特に叔母は今まで溜まっていた鬱憤が吹き出るが如く
やめられない止まらないという状態で夕方5時に突入した頃
叔父がブレーキを踏み、お開きとなりました。
母が亡くなり、初めて聞くような話も多く
私も弟夫婦も以外な話を興味深く楽しく受け止めました。
とってもいい時間をお盆が提供してくれたような気がしました。
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