生活

2022年07月12日

気がつくと服が無い?んだよね‥

どっぷりと母との生活を過ごしてきたこの10年ですが
母が亡くなり、介護生活を終えた今
少しづつ外の世界へ目が向くようになり
さぁ!出掛けましょう!という時
「あららら‥‥!!」っと鏡に映る自分の姿に唖然とします。

友人達に会う約束や、観劇予定などの機会を得るようになり
ある日、慌ててクローゼットのお出かけ用の服を着てみますと
なななななんと!!!サイズがぁあああ!!!

DSCF1842


びっくりしました‥私の体のサイズが‥2ランク?
いやいや!!3ランク上??!!!っ?へっ?
ってな事になっているじゃぁーあーりませんか!!!

近所の買い物や、家の中で過ごすルーズな服ばかり着用していたので
お出かけ用のタイトな服を久しぶりに着てみたら‥
恐ろしい事になっておりました。

在宅介護の生活に邁進し、体力も使っていると自負していましたが
思い返せば‥食の細くなった母のお残りを平らげ
おやつもカロリーの高いものを用意して一緒に食べていました。

痩せてきた母の体重を少しでも増やそうとしていたのです。

そんな最中、コロナの蔓延で外出の頻度も下がり
母とのリハビリ散歩も減り
一時期はおこもり生活にドップリと浸かっていました。
その上欠かした事のない晩酌のおつまみがこれ又
高カロリーなものが多いのよね‥

KIF_0625


古い話ですが、あの浅丘ルリ子さんと同じ5号サイズだった私‥
ところが現在のサイズは11号だよね、これっ‥!
遠い昔の出産直前の体重と一緒ですよ‥

しかも、以前の服が似合わない‥定番の服が‥
違和感を覚える位似合わない‥少し前まで着用し闊歩していたのに‥
(私の年代になりますと少し前というのは7~8年前と言う事になります)

慌てて街へ出て服探し行脚へ‥でも‥
試着しても、あ~‥‥どうしようかな~
何を着ていいのかサッパリわからない‥焦る!

以前は傾向がはっきりしてあまり迷う事が無かった服選びですが
その傾向だった服が全く似合わないとすれば
対策を講じる必要があります。

思った以上に深刻な問題です。
服は社会と繋がる手段の一つですもの‥なんとかしなければ!

専属のスタイリストさんがほしいー!






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wxy812 at 10:57|PermalinkComments(0)

2022年06月12日

死後の手続き、四十九日法要、納骨‥

これまで身内の死を何回か経験してきましたが
人が亡くなった後の手続きというのは
なぜこんなに煩雑なのだろう???

夫の時もそうだったように
今回も、慢性的な心労と、介護や看病でクタクタになった体で
重い足を引きずりながら、思考力の鈍った頭で考えながら
葬儀や不親切な死後の手続きに対応しました。

何とか、体を動かさなくては事は進みません‥
期限の短い手続きもあり、時が容赦なく背中をどつきます。

DSCF1817

そして‥なんとか香典返しの手配を終え
都心から特急に乗車して約1時間半の
亡き父の里にある菩提寺に於いて
四十九日法要、納骨を営みました。

本堂のお花一対とお墓のお花一対は
現地のお花屋さんにお願いして
法要前日にお寺に届けて頂きました。

当日の早朝、私達は母のお骨、遺影、デパートで買ったお供物
お布施、御膳料を携え菩提寺へと向かいました。

お陰様で初夏を思わせるような天候に恵まれ
スムーズに滞りなく済ませる事が出来ました。

DSCF1792

菩提寺とのお付き合いは亡き母が全てやっていましたが
これからは弟夫婦と私とで相談しながらやることになります。

大事な役目を終え気持ち的には一段落つきましたが
これで全て終わったわけではなく
相続関係の手続きがまだ目の前に横たわっています。

その他母が亡くなった事で生じた細々とした用事や
新盆の白紋天、母の盆提灯の用意などもあります。

DSCF1807

それが終われば遺品の整理ということになるのかな‥

数えた事はないのですが何十枚もある着物や帯はどうするのか‥
天袋に積み重なる和装の草履もあるし‥
洋服は母自身が何年か前終活の一貫で大方整理はついています。

こうなったら今年いっぱいは「整える」をテーマにやっていこうかな‥
自分自身の身の回りもスッキリ整理して
私に何かあった時、皆に手数をかけず
できる限り簡単に事を済ませられるようにしておきたいです‥







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wxy812 at 14:46|PermalinkComments(0)

2022年04月18日

母の病状最終回

少しひんやりとした4月14日の夕方
母は実に静かに、あっけなく旅立ちました。

14日の午前中、母の体を清拭して頂いた訪問看護師二人が
私の連絡を受け、その日の午後5時頃、再び訪れ
母の状態を確認し在宅クリニックへ連絡
20分少し経って在宅クリニックの医師が到着し
母の死亡を確認、そして時間を告げ死亡宣言をしました。

覚悟はしていましたが「えっ!今日なの?」という想いでした。

4月6日のリハビリの日は
作業療法士の方が母に桜を見せたいと
車椅子に母を乗せ、私も一緒に近くの公園へ行ったのに‥

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2月初旬にショートステイ先の介護施設から
大学病院へ救急搬送された母は
2週間後に退院したものの、持病の悪化で体重はますます減り
傍目にも衰弱しているのがわかりました。

14日の朝、母にあてたオムツを替えると
2日前から始まった激しい下血が、医師の処方した止血剤により
大分穏やかになり「ああ‥良かった」と胸をなでおろした私は
「11時に訪問看護師さんが来るからね」と母に告げました。
母は私の眼を見て頷きました。

12,13日のオムツ替えの状況は
私にとって、それは壮絶な状況でした。
血便の上、作業中にドロっと血液が流れ出てくるのです。

経験の無い私はその状態を見た途端パニックになり
手が震え、心臓をドックンドックンとさせ
右往左往しながら、何とか処置を終えると座り込みました。
気がつくと汗びっしょりでした。

DSCF1664


4月に入ってからの母は
夜中にパッチリと眼を開き誰かに話しかけているように呟いたり
ベッドから降りようとするなどの行動をとるようになりました。
紙パンツを着用し、トイレで用を足す事がほとんどでしたが
とうとう紙おむつとなりました。

しかし、難局を乗り越え、なんとか在り続けてきた母でしたので
覚悟はしていましたが、どことなく、この期に及んでも尚
楽観視していた節が私にはありました。

14日は、本来なら訪問入浴の予定でしたが
母の状態が良くないので今回はキャンセルし
代わりに看護師さん二人が母を全身清拭、洗浄をしてくれました。
着替えもして頂き、母はさっぱりとした顔つきになりました。

「さっぱりして良かったね」と私が言うとこっくり頷きました。

看護師さんが帰る頃にはお昼になっていました。

「水飲む?」と私が聞くと「いい」と首をふり
「じゃぁ、アイスは?」と聞くと頷きました。
昨日、ハーゲンダッツのバニラを一個食べた母でした。

ところが、アイスをふた口食べると口を開きません。
私が「もういいの?」と言うと「いい」と言葉を発しました。

思えばこれが私と母が交わした最後の会話でした。

私の人生で一番付き合いの長い大事な人なのに‥
なぜずっと母の部屋に居なかったのだろう‥

体がさっぱりして気持ち良さげで、穏やかな母の表情を見て
私は安心してしまったのです。

私は居間でゆっくり昼食を摂り、録り溜めたたビデオを思いの外
長い時間見ていました。

ふっと我に返り時計を見ると午後3時を回っていたのです。

お茶を飲むかな?と、慌てて母の部屋へ行くと‥
すでに母の眼は半開きで焦点が定まらず
下顎を動かし息をしている状態でした。

「おかあさん!おかあさん!」と何度よんでも、叫んでも
反応はありませんでした。

5,6っ歩で母の元へ行ける場に居た私は
いったい何をやっているんだ!

わかってはいます。
このような事は私に限らず星の数ほどあると言うことを‥

しかし星一つ一つの想いも星の数ほどあります。

父、夫、義理の父母、そして母‥
優しくしようと思っても、優しくできなかった‥

いつも、いつも後悔ばかり。ばかだな、私‥
ごめんね。お母さん‥

それにしても、母は本当によく頑張りました‥91歳かぁ‥

葬儀は21日に決まりました。

私の体に、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったような‥

胸の奥がシクシクとします。




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wxy812 at 20:38|PermalinkComments(0)