生活

2023年08月08日

不思議な出来事‥ってありますね‥

不思議な出来事ってそうそう体験はする事は無いけれど
私は今まで2回ほど、どう考えても腑に落ちない出来事がありました。

そして、今日‥「えっ!」と言ったきり
しばらく、固まってしまうような出来事に遭遇しました。

私は毎朝お仏壇のお水を下げ、新鮮な水を供えてから
線香をあげます。

今朝も線香をあげようと、蝋燭に火を灯そうとしたところ
蝋燭が無いのです‥

「えっ!」と言って、眼を凝らし見てしまいました。
小さなお仏壇のどこを探しても
昨日まで蝋燭立てに立っていた蝋燭が無いのです。

3~4日前、ちびてしまった蝋燭を変えたばかりで
長さもまだしっかりあったのですが‥

DSCF2150

蝋燭の火を消し忘れたんじゃないの?と思われるかもしれませんが
火は必ず蝋燭消しで消していますし
家を空ける際には必ずお仏壇を確認しています。
昨日の午後も買い物の前に確認しました。

それに火を灯すのは朝の一回だけですし
昼にご飯やお茶を供える際にもお仏壇は確認しています。

だから‥不思議なんです‥

ゴミ箱も見てみましたが、捨てた記憶もないのにあるはずもなく‥

しかも、蝋燭立てはきれいなもので
灯って溶けた名残もないから驚きです。

もちろん同居している弟夫婦にも尋ねてみましたが
覚えはないようで‥

ネズミ?泥棒?それとも…科学的な変化が齎した事象?

生活の片隅で起きた小さな出来事のようですが
スルーするには、ちょっと、引っ掛かり過ぎて
しばし、その場に留まりながら
なんとなく遠い所へ定まらない視線を投げかけてしまうような
ふわっとした気持ちにもなる妙な出来事でした。






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2023年04月05日

歩行者と同じ感覚で走っている?自転車‥

子供の頃、近所の自転車屋が貸自転車屋も営んでいて
そこの自転車を借りて乗った記憶はありますが
自転車に乗って彼方此方走り回るという
経験が私には全くありません。

不思議なことに、今思い返しても仲良しの友達や
近所の子供たちも、自転車に乗っている記憶がないんです。

交通の便が良く、学校も店も公園も友達の家も
全て徒歩圏内にありましたし、何よりも交通量の多い道路が
生活圏内を廻っていた事もあり
保護者が自転車を買い与えなかったのかもしれません。
当時は「交通戦争」という言葉も生まれていましたし‥


KIMG0483


そんな自転車事情の私は
過去に自転車に追突された経験が2度あります。

ある日、スーパーの袋を両手に下げながら狭い歩道を歩いていると
後ろから突然「ドスッ!」という具合に
自転車に追突されました。

追突というよりは2度共、当てられたというニュアンスに近いのですが
私がよろけている間に、相手は物凄いスピードで
颯のように逃げ去っていきました。

私の生活圏にある歩道などは、ただでさえ狭いのにも関わらず
語弊を承知で言うと、植栽が幅を利かせているので
ここに自転車がスピードを出して走ることになると益々歩きにくく
歩行者は桜を見上げてのんびりと歩くなんて事はできません。

KIMG2364

実はここ一週間程の間で、自電車がらみの出来事が2件ありました。

私の住む街には時季になりますと人々が集う桜の名所があり
郊外でもあることからソメイヨシノを筆頭に
あらゆる種類の桜を楽しむ事が出来ます。

買い物の行帰りに、通り抜けする公園の中にも7~8本の桜の木が
ここぞと言わんばかりに絶頂期の満開時期を迎えていました。

密度の濃い真っ青な空色と透明感のある淡い桜色のコントラストに
思わず見とれ、いい気持ちになって遊歩道を歩いていると
いきなり後ろから「ちっ!端を歩きなさいよ!」という
地の底から響いてきたような女性の声が…

驚いて振り返り端に寄ると、自転車に乗った70代位の女性が
「真ん中、歩かないでよ!」という捨て台詞を吐き散らし
サーっと通り抜けていったのです。

反射的に「ここ、車道じゃないのよ!」と私も言いましたが
あまりにもあっけにとられてしまい
呆然とした気持ちと驚きをもって家まで歩く私でした。


KIMG0973


もう一つの話も70代位の自転車に乗った女性の話なんですが
こちらもやはり、歩道を歩く私の後ろから走ってきました。

彼女は端を歩いていた私の体スレスレに
ど真ん中を走って追い抜いていきました。

思わず「あっぶないなー!もう!おばさん!」と
小声でつぶやき終わった途端
「ガッシャ―ン!!」と大きな音をたて
歩道と車道の境目の段差でバランスを崩し
女性は自転車もろともど派手にぶっ倒れてしまったのです。

あまりにもドンピシャだったので
まるで私が呪文を唱えて転ばせてしまったかのような
妙な気持ちになってしまいました。

私は慌てて駆け寄り、女性の腕を持って起き上がるのを手伝い
倒れた自転車を女性と一緒に持ちあげると
歩道と車道に散乱した買物の荷物を、自転車の籠へ運びました。

昨今、高値の十個入りの貴重な卵も見事に割れてしまっていました。
私に礼を言いながら、今度は自転車を押して帰路につく
女性の後ろ姿は、しょんぼりと悲しそうでした。

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自転車に乗らない私の目から見ると
自転車に乗っている人って、歩行者と同じ感覚で
歩道を走っているとしか思えないんですよね。

横断歩道はど真ん中を走り、歩道もど真ん中を走る
公園の中も降りることなく走るし
道路ではない駅前の広場も平気で走る
大人がそうだから、子供も同じように走ります。

しかも、「ここは道路ではありません。
自転車、バイクは降りて通行してください」という
大きな看板がいくつも立てかけてあっても知らんふりで
小さなお子さんを自転車の前後に座らせたお母さんさえも
看板の前を勢いよく走り去ります。

流石に、バイクが走るのは見たことはないですが‥

歩道を歩く歩行者が邪魔で仕方がないようですしねぇ‥
自転車って何なんだろう?

なんだか、ブツブツと言ってしまいました。






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2023年03月31日

在宅介護の介護者は、太る‥私の場合‥


私は小柄で、それこそ今まで妊娠した時以外
50キロという大台に達したことはありませんでした。

一時期、30キロ後半ということもありましたが
ベスト体重が42~45キロという日常を送っていました。

ところが、母と同居してからというもの
体重のリズムはぶっこわれてしまいました‥‥

年齢的な事は、もちろんあると思いますが
致命的な原因は食事と運動量だと思います。
代謝も悪くなっているでしょうしねぇ‥

母との同居は11年に及びました。



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夫亡き後、同居していた義父母の介護をめぐり
夫の姉、弟との間に齟齬や確執が生じた上
御多分に漏れず、相続に関してもひと悶着ありました。

相続に関し、ここへ書くのが憚られるような
強硬手段をとった義姉、義弟に対し
心の浪費をしたくなかった私と息子は
速やかに夫の実家から離れました。

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時を同じくして、母の滑舌がおかしい事に気が付いた私は
母を連れて脳外科へ通院するようになりました。

処方して頂いた薬を服用し、様子を見ていると
滑舌は元に戻り、母にその他の変化はありませんでした。

しかし、ほっとしたのも束の間、しばらく経つと
今度は呼吸が苦しくて、少し歩いては休むという状態となり
かかりつけ医の紹介状を持って大学病院で診てもらうと
検査の結果、程なくペースメーカー装着の体となりました。


KIMG2461


その間、夫の両親はと言いますと
義姉、義弟は私が出た後、即座に二人を老人施設に入居させました。
しかし、その翌年に義父が亡くなり
翌々年には義母が相次いで亡くなりました。

私は震える程驚き、後悔もしました。

実は私が義姉、義弟に追い出されるように家を出た直後
あの東日本大震災があったのです。

心配でたまらず、夫の実家を訪れた私は
当てもなく、縁側に座りこんだ義父と
居間の炬燵で何をするでもなく
所在なく座っている義母を目にしました。

義父は私の顔を見るなり
「ああ!Tさん!助けてくれ!E子の作る食事がさぁ‥」
と、しっかりした食事を摂っていない事を訴えるのでした。

義母は「しょうがないよ‥騙されたんだよ‥しょうがない‥」と
憔悴した様子で私の顔を見て言うのです。

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あの日‥‥「実の娘と息子がやってることじゃないの!
二人とも、自分の娘と息子の言いなりになったじゃないか!」と
何回も呟き、後ろ髪をひかれる想いで帰りの電車に乗った私でした。

夫亡き後も、私と義父母の同居生活は、うまくまわっていました。

レビー小体型認知症の幻視に悩まされていた義母を
病床に臥す前の夫と私とで、心療内科へ連れていき
医師から処方された薬を服用して間もなく
義母の幻視の症状は劇的に無くなりました。

介護認定1の義父は、元々アクティブな人なので
買い物に出たり、庭の手入れをしたり
じっとはせずに元気に生活していました。

3人で話し合って、私は軽い朝食と夕飯を作り
お昼は義父母が好きなものを食べに出たり
お気に入りの調理パン買ってきたりして過ごす事を決めました。

ですから私は日中はフリーでしたので、気ままに過ごしていたのです。


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まあ‥‥色々な事がありましたが、実家に戻った私は
ペースメーカー装着により、落ち着きを取り戻した母と連れ立ち
父の墓参りがてらの小旅行をしたり、お互い自分の生活を
それぞれ楽しむ余裕もできるようになり、順調に過ごしていました。

特急列車に乗車する駅までは私が送っていきましたが
母は入院する前の年まで姉妹達に会うため
毎年一人で列車に乗り、信州の実家へも行っていました。

ところが、90歳という年齢を前にして頑張っていた母の体は
万策尽きたのでしょう‥持病の悪化から伴う不具合により
入退院を繰り返すようになり
とうとう介護認定を受ける事となりました。

母と話し合い、在宅で介護の日々を過ごす事にしました。

母の介護生活が始まると、私は遠出はできなくなりました。
制限のある母の食事は神経を使いましたが
亡くなる一年位前に、制限食のお弁当を見つけ
冷凍で2週間分づづ送ってもらうようになると、大分楽になりました。

長時間、母を一人にできないので
近所への買い物もそそくさと済ませ帰るようになりました。

月曜日は在宅クリニック、火曜日は在宅リハビリ、水曜は在宅歯科
木曜日は在宅看護、月2、3回はタクシーで大学病院や眼科へ行き
その他ケアマネの訪問、介護用具の点検、取り換え、入浴など
頻繁に人の出入りはあるし、移動はあるし
ドタバタと賑やかに、忙しく、そして意外にも楽しく過ごしていて
自分が刻々と太っているような感覚は皆無でした。

今になって、よーく考えてみると
約4年間、意識して運動はしていないし
長距離を歩く事もありませんでした。

忙しく体を動かしているような感覚は
実は、気持ちの上だけのものだったのです。


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健康診断で、医師に総コレステロール値が高いので
薬を処方しますと言われ、「え!?ちょっと、待ってください
なんとかします!もし次回の検査で数値に変化が無かったら
処方お願いします」と思わず私は言いました。

驚きました。他の数値は悪くはないのに
総コレステロール値が…だって‥‥

子供が幼なかった頃と同じ感覚で
食の細くなった母が残した食事をペロリと平らげ
その上、母にカロリーを摂らせるようにと医師に言われ
母へ用意するおやつにもしっかりと便乗していた私でした。

今思えば、語弊があるかもしれないのですが
母の在宅介護生活は、お祭りのようでした。
その中で夢中で過ごした結果が現在の私です。

気が付くと、体重が‥ウ‥‥ん‥
お腹は引っ込まないし‥ジーパンのウエストが‥き、きつい‥
という状態です、介護の副作用のような状態に驚いている私です。

そんなはずないんだけどな‥‥毎日あんなにワサワサだったのに‥
軽い介護ロスとでもいうような状態にもなっている私でもあります‥

というわけで、現在は毎日歩き、自分なりの運動をしています‥
と言いたいのですが、毎日というわけにはいかず‥‥
さぼる日は結構あります。

まあ、何とかします‥何とかしなくちゃ!うん‥








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wxy812 at 21:53|PermalinkComments(0)