思い出

2020年07月27日

井伊直弼ではなかった?じゃぁ開国は誰が‥



この記事を読んだ時「えーっ!うっそー!」って感じでした。
にわかには信じられない気持ちです。
日本を開国に導いた人物は大老井伊直弼と
皆さんも学校で習いましたよね‥

しかしですねえ‥
私はまだ読んではいないのですが

7月15日に刊行された拓殖大教授関根基氏の著書
「日本を開国させた男、松平忠固ー近代日本を築いた老中」に
よりますと、日米修好通商条約を断行したのは
井伊直弼ではないと記されているとのことです。

「まつだいら ただかた」というお名前は初めて目にしました。

徳川政権の閣内にあって、ペリー来航当初から声高に交易通商を
主張しあらゆる難関を乗り越え調印を果たしたのは
井伊直弼ではなく松平忠固と言う人物だということです。

ところが松平忠固は調印を果たした翌年1859年に
48歳で突然亡くなリます。

病死ということですがこの死には色々と疑問が生じているようです。

国のトップが謎の死を遂げたり暗殺されたりと
政敵同士熾烈な足の引っ張り合いもあったようです。
うーん‥当時は過渡期の混乱もあり
混沌とした時期でもあるわけで
歴史的操作も行われたかもしれませんね。

しかし日本開国の実質の立役者であった「松平忠固」の存在を
なぜ誰も語ろうとしなかったのでしょう。

「日本を開国した男、松平忠固」には
〈現代に至ってもまだ日本人は長薩政権のプロパガンダを
信じ込まされているのだ〉とあるそうです。

ぜひとも読んでみたいと強く思います。

しかし私が生まれたのはぶっちゃけ1954年なんですが
遡ってたかだか100年にも満たない頃の話なんですねえ‥

かくいう私はかの井伊掃部頭直弼の銅像が
開国の象徴である横浜の港を向いて立っておられる
掃部山公園で幼い頃毎日のように遊んでおりました。

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             横浜市西区紅葉ヶ丘 掃部山公園

曾て家族で居住していた父の会社の社宅の前の通りは岩亀横丁といい
徒歩1~2分の所に岩亀稲荷がありました。
気がつかず通り過ぎてしまう程間口の狭い稲荷です。

開国間もない安政のころ太田屋新田に居留外国人の社交場として
遊郭が開設されました。(現在の横浜関内の一角)
その中でも豪華な遊女屋を岩亀楼と言いました。
外国人は羅紗緬のいる岩亀楼でしか
遊ぶことが出来ない決まりがあったのです。

そこで働く遊女達が静養する寮があったのが岩亀横丁のあたりであり
遊女達の心の拠り所として信仰を集めたのが岩亀稲荷だったそうです。

百十数年後、歴史の教科書で聞きかじった一角で
私は友達と駆け回っていたんですねえ‥

百年ってそんなに昔ではないです。
私の母だってペロッと90歳ですしねえ‥

遊女さん達のため息や呼吸がまだ消えきらないような頃
私はそこで生活していたのだなあと
なんとなく想いに耽ってしまいます。

話は少し逸れますが
「おんな城主直虎」は1500年代半ばのドラマでした。

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井伊家と言いますのは周辺の大国から踏みつけられながらも
なんとか形を変えつつ息を止めずに生き残り
徳川の閣内においても存在を維持してきました。

そしてそれは1800年半ばの開国まで達した事を想いますと
まあ、直虎はドラマではありますが感慨深いです。

政次のあの自分を盾にした行為は
今にも途切れつつある井伊家の行跡を繋げるため
自分が橋になり人々がそのまま
歩いていけるようにするためのものだったのです。


何れにせよ開国についての経緯がどのようであったのか
松平忠固について知りたい気持ちはあります。









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2019年11月02日

「流星の絆」は大好きなドラマです!


家族三人で夫の実家に引っ越しをして
ダンボールの荷もまだそのまま積み重なっている
12月28日の仕事納め翌日の早朝
夫は救急車で病院へ運ばれ
翌年の葉桜が目に眩しい頃
あっけなく死にました。

そんな悲劇に見舞われた私は
気がつくと茹だるような夏の暑さを迎えても尚
死後の手続きやその他諸々の後始末に奔走していました。

その上夫の両親の介護手続き等も加わって
心も体もヘトヘトになりながらふっと気がつくと
私の周りを金木犀の香りが包むように漂う頃となっていました。

テレビを観る余裕などない私でしたが
第一話だという10月期のドラマをなんとなく
観ることもなく流して書類等の整理をしていたのですが
「獅子座流星群」という言葉に思わず反応していました。
その言葉が誘い水となり
私はそのドラマの中にすっかり入り込む事になりました。

それが「流星の絆」というドラマだったんです。


2008年の事でした。



「獅子座流星群」の大出現が騒がれた1998年は
マスコミも世間もこの話題にヒートアップしていました。
世間のムードにたがわず当時11月の流星群極大日の寒い夜
私達家族は地元の高台へ出向きました。
するとすでに100人以上と思われる人々が天体ショーを見ようと
集まっていたのです。

その時の在りし日の夫を含む家族の思い出が蘇ったのです。

「流星の絆」の設定ですと1993年秋の獅子座流星群を
小6の兄有明功一(二宮和也)と次男の小4泰輔(錦戸亮)
末っ子の小1静奈(戸田恵梨香)が
神奈川県の横須賀で洋食屋「アリアケ」を営んでいる
両親に内緒でこっそりと見に行く計画を立て実行しました。

そして‥‥

流星群を観て家に戻った三人が目にしたのは
変わり果てた両親の姿だったのです。

「流星の絆」は東野圭吾さんの同名小説を
宮藤官九郎さんの脚本でドラマ化したものです。
夜10時からのTBS金曜ドラマで
2008年の10月17日から12月19日まで放送していました。

「ハヤシライス」と
「大人になったら真犯人捜してさ、三人でぶっ殺そうな」が
キーワードのドラマでした。

実は宮藤官九郎脚本という事に気がついたのが5年位前の事でした。
本筋はシリアスなのに仕立てがコミカルだった原因が
ここにあったのか…と、なんとなく頷きました。

でも、だからこそシリアスな部分がより染み入った感がありました。

主題歌は嵐の「Beautiful days」
挿入歌は中島美嘉さんの「ORION」なのですが
今でも強く印象に残っていてふっと口遊む事がよくあります。
ドラマの内容と融合しすぎて例えようもなく切ない思いになり
今でも胸がキューンとします。

そして当時の自分の心境とも相まって
このドラマはなぜかずっと後を引いているドラマです。
金木犀の香りが漂う頃になりますと強く切なく思い出すのです。

現在放送中の朝ドラ「スカーレット」のヒロイン戸田恵梨香さんが
あの時の静奈ちゃんである事を思うと
この方はとっても良い役者人生を送られているなあと思います。

兄功一役の二宮和也さん
次男泰輔役の錦戸亮さんの活躍は言わずもがなです。






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2019年10月14日

岸辺のアルバム‥思い出します‥

TBS系で1977年に放送された
「岸辺のアルバム」というドラマがあった事をご存知ですか?

原作・脚本は山田太一さん、プロデューサーは堀川敦厚さん
ドラマのキャストは八千草薫さん、杉浦直樹さん、田中喜子さん
国広富之さん、竹脇無我さん、風吹ジュンさん、新井康弘さん
村野武範さん、原知佐子さん、津川雅彦さん、山口いづみさん
沢田雅美さん他です。

東京郊外の多摩川沿いに居を構えて生活する四人家族の物語です。

ドラマ「岸辺のアルバム」の一家は
ご近所の方がチラ見した程度ですと一見どこにでもあるような
無難な感じの一家に見えたことでしょう。

しかしこの一家はとんでもない
問題をそれぞれが抱えていたのです。

父親の会社は倒産寸前で、母親は不倫
娘は恋人に捨てられた挙げ句恋人の友人からレイプされ妊娠
息子は家族の秘密を知ることで荒れてしまいます。

そして全ての事が明るみになり家族崩壊へ‥‥

そんな家族のゴタゴタの最中に「台風」「洪水」「非難勧告」
と言う非日常的な単語が突然飛び込んで来るのです。

台風によるダムの放水で生じる洪水で多摩川の堤防が決壊したのです。
「避難勧告」を言い渡され持ち出したものは
家族の「アルバム」でした。

父親がいわば儀礼的に撮ってきた綺麗事の家族写真‥

でもどうしても持ち出したかった「アルバム」は
やはりどんな家族であっても家族四人にしかわからない
家族の「アルバム」なんですよね‥

そして‥‥
このドラマの根底に位置する家族の象徴である家が
岸辺諸共洪水の多摩川に崩れ落ちプカリプカリと流れていくのです。

当時20代前半の私は此のドラマを観ていてしんどい思いをしました。
ほんわかしたホームドラマを見慣れていたせいか
不倫、レイプ、堕胎、倒産、女性斡旋という単語がちりばめられた
家族の物語というのはちょっとショックでした。

しかし今考えますとこの家族がそれぞれ抱えていた事情というのは
特別なことではないし、稀なことでもありません。

今だから言えるのかもしれません。

あの頃は家族のあり方というものに拘泥しすぎた結果
ドラマの家族に違和感を持ってしまったように思います。



このドラマは1974年の台風16号による多摩川の堤防決壊で
狛江市側の家屋19棟が多摩川に崩落流失という
実際に起きた出来事をモチーフにして描かれたものです。

亡くなった私の夫はこの1974年の多摩川の洪水を
当時帰宅途中の小田急線の車窓から見ていたというのです。
ってことは小田急線は洪水の最中運行していたのかしら‥?

今回の台風19号による
千曲川の堤防決壊で家屋が流失する映像に既視感を覚えた私は
すぐにそれが「岸辺のアルバム」の
冒頭の映像である事を確信しました。

https://www.youtube.com/watch?v=tfep0Ep3FpE
ドラマの冒頭で「岸辺のアルバム」の主題歌
ジャニス・イアンの「ウィル・ユー・ダンス」の曲とともに
多摩川の濁流に飲み込まれる家の映像が映し出されます。

ドラマの深刻さと主題歌とが絡み合い
なんとも衝撃的なのですが
逆に主題歌の持つ俯瞰の姿勢が冷静さの呼び水となり
ドラマを遠くから観ているような
なんとも不思議な心持ちにもなりました。

それにしましても千曲川の状況は言葉もありません。
今この日本の天候や地殻の変動等は
予測もつかないことばかりで明日は我が身です。

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