思い出

2019年10月12日

凪のお暇を観て‥私も‥そうだった?

凪のお暇を観ていたら‥
もしかしたら私も凪と同じアダルトチルドレンじゃないの
強く思い、確信しました。

だから私は40数年前のあの日この家を出たんです
私の場合お暇なんて綺麗ごとではなく
息が詰まりそうで逃げ出すしかなかったのです。
実家に居続けたら精神がおかしくなりそうでした。
はっきり言いますと親から逃げたのです。

忘れていました。あの頃を思い出しました。

現在の私は今を生きるのがいっぱいいっぱいで
目の前にある仕事を片付ける事に没頭する毎日です。

いいのか悪いのか一度は距離を置いた母の介護と家事と
たまたま引き受けてしまった地域のお役目をこなしながら
ほそぼそと生活しています。

「凪のお暇」で母親と対峙した凪が
母親に対して「嫌い」という単語を言い放った場面がありました。
それを聞いた私は溜飲を下げるというか
いいんだ親に嫌いって言っていいんだとびっくりしました。



ドラマを観ていて凪の思いを理解できていた私は
凪が母親に「嫌い」と言った気持ちが痛いほどわかりました。

私は親に「嫌い」なんて言ってしまったら
罪人になってしまうような気がしていました‥
でもあの場面を観た時
すっごく新鮮な気分になりほっとして気持ちが助かりました。

凪が私の気持ちを代弁してくれたように思いました。

私が現在介護をしている母は私が「おかあさーん」と言って
ゴロゴロと甘えられるようなタイプの人間ではなかったのです。

DSCF2575


幼い頃の私は父親に甘える子供でした。

私の弟はどちらと言いますと母親っ子でしたが
母の思いを受け取りすぎる子供でしたので
ある日母の嫌いな隣人の頭を叩くという事件を
起こしたことがありました。

母は幼かった私にも弟にも大人の事情を
自分の感情の思うままに語ってしまっていたのです。

その後弟は自家中毒という医師の診断で
しばらく苦しんでいました。

父はそんな日常の細かい母と子供達の事は
多分知らなかったと思います。
日中の私と弟は母に言われるままされるままに
生きるしかありませんもの‥

私が現在母の介護をしているのが不思議な位
今考ると許せない事ばかりを母は私にしてました。

それでも子供というのは親に褒められるよう
いい子になろうと思うものなんです。

親と決別してもよかったのかもしれませんが
今となってはもうどうでもいいと思っています。
だからこうしているのです。

でも‥
もしかしたら‥アダルトチルドレンの末路なのか?
まだいい子になろうと思っているのか?私は‥
褒められようとしているのか?
自分を埋没させた生き方しかできなかったような気がします。




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wxy812 at 16:03|PermalinkComments(0)

2019年06月30日

傷だらけの天使ビル8月解体



「傷だらけの天使ビル」8月解体の記事を見て
本当に驚きました。

以前にも書いたのですが
私は当時「傷だらけの天使」放送終了直後に
最近の若い方がおっしゃる「聖地巡礼」を果たしています。

修と享の生活拠点だったあの場所は
「代々木駅」近くの線路沿いに位置する古いビルで
通称「代々木会館ビル」として存在しておりました。

私が通学していた学校の近くでしたので
友人らと探検気分でビルの中に入りました。

当時から相当古めかしい感じのビルで
中に入ると古い匂いの漂う中
私達は階段を恐る恐る上がっていきました。

屋上にたどり着いた私達はドラマの息遣いがまだ聞こえるような
その場の雰囲気に飲まれ立ち尽くしました。

そこにいると修と享が屋上でワチャワチャしている様子が
リアルに残像として映し出されました。

ドラム缶のお風呂はこの辺りだったかなあなどと
友人とそこで楽しく過ごした記憶があります。

しかしすでに相当多くのファンが訪れたのでしょう
落書きがいっぱい書いてあり、掃除も為されていないようで
なんとなくそこだけ切り取ると廃墟のビルのようでした。

学校を卒業してからは代々木へはあまり立ち寄らなかったので
気がつきませんでした。まだあったのですねえ‥あのビル‥
もうとっくに取り壊されていると思っていました。

築何年なのでしょう?
そういう私も相当古くなりましたが‥

それにしましてもあのビルが
今年3月に亡くなられた萩原健一さんと
同じ年に幕を閉じる事になるなんてねえ‥

NHK BSプレミアムで毎週土曜日に再放送されている
「鴨川食堂」を昨日も観ましたが
ちょっとおセンチになります。










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wxy812 at 09:13|PermalinkComments(0)

2019年06月28日

昔と今の違い‥‥


昔私は反社会的勢力の方たちとつながりがありました。

昭和30年代のお話ですが‥

仲の良いお友達のMちゃんの親御さんがその筋のお方でした。

看板の掛かったお宅に遊びに行った時
真っ白な壁があまりにも美しいので
幼稚園のじゃり友らとペタペタと手の平で触っていました。
すると‥いきなり
「何やってるんだい汚い手で触るんじゃないよ
と女性の野太い声が聞こえました。

見ると和服姿の髪をアップにしたおばさんが
腕を組んでこちらを睨んでいました。

その家の娘Mちゃんが
泣きながら「お母さん!やめて!やめて!」と訴える中を
私達じゃり友が蜘蛛の子を散らすように逃げ帰った様を
未だに私は覚えています。

後の映画「極道の妻たち」のテレビスポット映像を見た時
まさしくあの時のMちゃんの母親そのものでびっくりしました。

DSCF2215


また鉄工所を営むお宅の友達Tちゃんの親御さんもその筋の方でした。

そのお宅で遊んでいると
「早く!早く来て !大変だよ!」と
直訴する近所の方々の姿を私は頻繁に目撃していました。

街で揉め事がありますとTちゃんの父親が
執り成すために出向いていたのです。
それもかなり頻繁でした。


当時の私の友達の親御さんはその筋の人だったんだなあ‥と
今更ながら思いを馳せています。

何もかも物心がついた頃理解しました。

当時街の人々はごく自然に
ご近所としてのお付き合いをしていましたし
また私の親もあの家には出入りをするなとは言いませんでした。

昔って持ちつ持たれつだったのか‥‥

戦後間もない頃ってそれで統制がとれていたのかしら?

今思えば地元の反社会的勢力の大物元締めのお葬式の時
葬列の一番前でお写真を持ち歩かれていたのは
日本中で知らない人がいないような大物歌手でした。
(当時葬列を見に行った近所のおばさんが母に報告してました)

必要悪という言葉がありますが
それも昔の話で現在は悪の質も途方もない事になっているのでしょう。
義理と人情などとノスタルジアに浸ってはいられませんよね。
それこそ必要な悪などと言っている場合ではない状態でしょう。

反社会的勢力とかかわりがあったとして
取り沙汰されているお笑い芸人さん達も
知らなかったとはいえ
間接的に片棒を担いだとみなされてしまうのは致し方ないのでしょう。

座頭市じゃないですが「やな、渡世だなあ」とつぶやきたくなります。




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wxy812 at 08:01|PermalinkComments(0)