ラジオ

2020年10月25日

シェイクスピアのことばに支えられる

10月24日(土)午前4:05放送のラジオ深夜便
「私の人生手帖」を私は聞いていました。
この日のゲストは翻訳家・演劇評論家の松岡和子さんでした。

松岡さんは平成5年1993年から始めた
シェークスピア全37作品の翻訳の完訳を
女性として日本で初めて目前に控えています。

平成10年からは彩の国さいたま劇場で蜷川幸雄さん演出によります
シェークスピアの全作品の舞台化を目指す
壮大なプロジェクトがスタートしたのですが
その翻訳を松岡さんが手掛けたそうです。

今回のお話で私は特効薬のような「ことば」を頂きました。

現在の母の病状の場合
リスクの高いカテーテル治療を決行してしまって良いのか?
転院せずにあのまま退院したほうが良かったのか?‥など‥
自分でも以外なほどヘロヘロ状態になっている最中でした。

しかしその「ことば」を聞いて
ヘロヘロ状態がスーっと薄まるような感じがしたのです。

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「雀一羽が落ちるにも天の摂理が働いている。

今来るなら後には来ない
後で来ないなら今来るだろう

今来なくてもいずはれ来る

覚悟が全てだ。」


書かれてから400年以上経つ現在でも上演され続けられている
世界最高の劇作家シェークスピアが描いた「ことば」により
松岡さんは看護や介護など、人生の岐路で支えられたそうです。

上記のことばをハムレットが
どのようなシチュエーションで発っしたのかと言いますと

ハムレットの殺害を目論んだ国王は
オフェーリアの兄であるレアティーズの復讐心を利用し
ハムレットとレアティーズのフェンシングの試合を催したのです。

レアティーズの持つ剣は先を鋭くした禁じ手である上
剣先には毒を塗り、その上ハムレットが喉を潤す事を前提に
毒杯まで用意するという、周到な準備の上に仕組まれた
親善試合とは名ばかりの、悪意の元開催された試合でした。

この試合に挑む直前に嫌な予感を覚えたハムレットでしたが
前兆など気にしてはいられないと放ったのがこの「ことば」なのです。

DSCF4013


松岡和子さんが人生において一番フニャフニャになった時
それは御主人が食道がんを疑われた時だそうです。

検査をして悪性であったら‥進行度合いはどの位なのか‥
手術をするのかどうか?など、何もわからず不安な時に
ハムレットの「覚悟が全てだ」が出て来たそうです。

「死はいつ来るのか?死はいずれ来るんだ!だったら覚悟しておけば
いつ死んでも同じじゃないか」と思えたそうです。

手術を施す予定だったそうですが
ご主人が誤嚥性肺炎になってしまい
結局在宅看護となってしまったそうです。
この時も「覚悟が全て」を毎日言っていたそうです。

吸引器でガ-っとご主人への吸引を施し、オムツ交換をし
隣室の書斎で仕事をするという状態だったそうですが
この翻訳のお仕事も気持ちの切替ができて良かったそうです。

「最悪なことが起きても、自分はちゃんと立っていないといけない。
この言葉は今も私の心棒として強さを増している」
と松岡さんは言います。

私、ふっと思ったのですが教養というのは
自分の危機や岐路をできるだけ円滑にする
「ことば」を持つ事でもあるのかなとつくづく想いました。
松岡さんはことばを扱うお仕事だったわけですが
やっぱり日頃から読書や人とのお付き合いで見聞を広め
多くの「ことば」を獲得しておくことが大事ですね‥





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wxy812 at 14:42|PermalinkComments(0)

2019年02月16日

スナフキンと言語隠蔽


私は毎晩ラジオ深夜便をかけて寝ているのですが
13日の夜何時頃でしたか‥?
いつもうろ覚え気味なのですが
頭木弘樹さんの「絶望名言ミニ」のコーナーで
スナフキンの絶望名言を耳にしたのです。

『どうしてみんな僕の旅のことをソッとしておいてくれないんだろう。
分かってないんだなあ。無理に語らせられると
ペラペラしゃべったら最後
バラバラになって消えてしまうんだ。
それでおしまいさ。
その旅のことを思い出したくても
自分のしゃべった声しか聞こえなくなってしまう』
(短編集ムーミン谷の仲間たち 春のしらべ 訳渡部翠)

要するにスナフキンが旅で得た感情、情景を人に話そうとして
無理やり言語化してしまうと
記憶がバラバラになって消えちゃうってことなんですよね。

実験で事件の犯人を目撃してもらい
犯人の顔の特徴を言葉で言い表してから
写真を見て言い当てる場合の確率は
言語化する前の確率よりも格段に下がるんだそうです。

目撃した人は全体像を細かく表す事は無理なので
どうしても印象の強い部分だけを言い表す事になります。
そうなると言語化した事以外は消えて無くなるそうです。
言葉にしない方が全体の印象がそのまま残るのでより正確だそうです。

この様に言語が記憶を阻害する現象を
「言語隠蔽」と言うそうです。

このような現象は言葉で表現しにくい
絵画、本、音楽、匂い、味、人間の感情等などでも起きるそうです。

感情などは言語化すると「悲しい」「辛い」で終わりそれ以外の感情は
どこかへ飛んで行ってしまうそうです。

無理に言語化すると大事なものが
言葉と共にポロポロ転がり出てしまうような感じですね。

言葉で上手に表している人の方が深く理解していると思えるのですが
どうやらそうでもなさそうですね。

言葉にできない感動が芸術の大事なところだと頭木さんは言います。

安易に言葉にせず又無理に語らないって事かしら‥
そーっと感動を自分の中にしまい込んじゃった方が
色褪せずにいつまでも自分の中で鮮明に生き続けるって事かしら‥

頭木弘樹さんは最後に
『だからといって全く言葉にしないほうがいいのか?
それもまた違うと思います。無理でなければいいのです。
多くの作家は言葉に絶望するところから
書くことが始まると言っています。

作家は言葉にできないことを言葉にするのです。

自分の中でモヤモヤして言い表せない言葉を
小説や詩から見つけた時、ああ!これだ!と感動します。

人がなかなか表せない言葉を探しみつける
それが文学なのではないか』とおっしゃいました。

言葉にならない気持ちを表している言葉に出会うため
文学作品を読むんですねえ‥

わかりました。






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wxy812 at 07:55|PermalinkComments(0)