アセクシャル

2022年02月01日

「恋せぬふたり」第4回



咲子と羽の後を付け羽の家の前まで来たカズは
いきなり二人の前へ飛び出て、関係を問い質します。

家の門を開けようと階段を上り詰めた羽の腕に
カズが手をかけた途端、人との接触が苦手な羽は
思わずカズの手を払い除けてしまいます。

バランスを崩しかけたカズが階段から転げ落ちる寸前
羽は咄嗟にカズを庇い
羽自身が階段から転げ落ち腕を骨折してしまいます。

責任を感じると同時に
接触を好まない羽と非力な咲子の様子を見兼ねたカズは
溜まった有給休暇消化を口実に
半ば強引に羽の家へ着替えを持ち込み泊まり込みで羽の世話をします。

在宅勤務となった咲子と3人の生活が始まるのですが‥



アロマンティック・アセクシャルをなかなか理解できないカズ‥

でも観ていると、カズの悪気の無い直球の言葉と行動は
羽にとって禁忌にふれる表現ばかりではあるのですが
指摘すると素直に認める度量があります。

羽は自分の性的指向をしっかり把握するために
自分に問いただす時間を充分費やしてきました。
ゆえに他者との距離のとり方、付き合い方はもちろん
そこから見えてきた世の常識や理と言われる中に存在する
不条理を俯瞰しつつ冷静に捉え周りと接しています。

今回咲子を通じて知り合ったカズの存在は
羽の生活と心の有り様に少なからず波紋を投じたと想います。
その波紋が羽にどんな影響を及ぼすのか‥

咲子はというと‥自分を漸く捉えたばかりのようで
手探り状態で自己を認識している最中のようです。

しかし‥どこまで行ってもどこへ行き着いても
アロマンティック・アセクシャルは
アロマンティック・アセクシャルなのだと思います。

そんな咲子に「俺じゃだめなの?」と全てを承知して
二人で暮せば大丈夫というカズが攻め寄ります。

自分を大事に、正直に、豊かに生かしていくには
どうすれば良いのか?羽と咲子の模索は続きます。

いっそのこと三人で家族になったら?
なんて無責任な事を言ってはいけません。

それにしても‥並んでいる男と女を見ると
当たり前のように、夫婦か恋人としか捉えられない
私にしても世の常識枠に毒されているのかも‥

冬季オリンピック中継等のため第5回は2月21日となります。
               





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wxy812 at 21:37|PermalinkComments(0)

2022年01月12日

「よるドラ・恋せぬふたり」始まった!



待ちに待った一生さんの連ドラが始まりました!

連ドラは本当に有り難いです。
週に一回決まった時間に一生さんのお芝居を拝見できるのですもの‥

「恋せぬふたり」第1回観ました。

今回の一生さんはスーパーの野菜売り場を受け持つ
高橋羽(たかはしさとる)という店員役で

岸井ゆきのさんは兒玉咲子(こだまさくこ)という
高橋羽の務めるスーパー本社の社員役です。

ある日この二人は高橋羽のブログがきっかけで
アロマンティック・アセクシャルという
他者に恋愛感情を抱かないし性的に惹かれない恋愛的指向が
共通していることを知ります。
性の多様性として最近色々目にし耳にしますが
アロマンティック、アセクシャルという言葉は初めて知りました。

高橋羽という名も兒玉咲子と言う名も
なかなか羽を「さとる」とは読めませんし
兒玉咲子にしたって「さきこ」のほうが「さくこ」より
一般的でない兒玉からの流れにはスンナリする気がしますが‥
他者からなかなか馴染めない二人の有り様が
名前にも表されているようです。

ここでの一生さんは、高橋羽として
年相応な実態を醸し出し、リアルに“場”に存在していました。

高橋羽に内在する性的指向が
他者への接し方、距離のとり方、そして言動からも
彼の生き方に反映しているのかな?と想像できました。

昔から結婚適齢期と思しき男女は本人にその気がなくても
周りが放おってはおかず、まずは身内、そして勤め先の人、友人
最近は昔程ではないにしても、ご近所のおばさんあたりが
「いい人いないの?」とか始まるわけですよ‥‥

若い男女イコール恋愛、うまくいけば結婚へという公式が
世の中にはありますよね。

ですから公式に当てはまらない人間はなんとなく特別視されます。

それでも最近は性の多様性が叫ばれ認識されつつありますが
無数に存在するセクシャリティは個々によっても差異があり
定義することは難しいと思います。

高橋羽と兒玉咲子にしても
方向性が共通していると思われる性的指向において
何もかも同じということではないのでしょう‥‥

しかし、そんな認識がまだまだ浸透するには至っておらず
生き難さを感じながら日々を過ごす人々にとって
世の中が早く性的指向の多様性を特殊と捉えるのではなく
人間一人一人が持つごく普通の性に対する概念だと捉えるようになれば
おおらかに暮らせれるのにと思います。

この先、高橋羽と兒玉咲子の行末はどうなるのだろう‥
差異は必ずあるはずだし、馴染みのある人間同士ではないのです。

一緒に生活をすると言っても‥‥なんか、早急すぎる‥
恋をしない二人の同居、家族という括り‥なんですかね‥





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wxy812 at 20:41|PermalinkComments(0)