カテーテル治療

2021年04月14日

びっくりだけど、よくあること‥

幼い頃から今まで
しっかりと、目標に向かってまっすぐ生きる
そんな姿勢は私には皆無でした。

私の両親が営んでいた家庭は決して裕福とは言えませんが
私は物品に恵まれた長閑な環境だと感じていました。
その上親族が多くお小遣いもたっぷりいただいていて
今から想いますと「貧嬢ちゃま」状態だったと想います。

自分の人生はこの状態のままずっと続いて行くのだろうという
どこからくるのかわからない確信に満ちた感覚がありました。
浅はかな思い込みが成立した状態で今まで生きてきました。

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なぜそんな風になってしまったのか?
今思いますと自分でも意外な気がするのですが
両親との関係が希薄だったような気がするのです。

両親の背中が見当たらないというか‥
両親の言葉も見当たない‥のです?
母から教わった料理はありません。

私にとっては居心地の良い空間だと思っていたのですが
ある意味野放しの状態でいたような気もします。

好きな漫画や小説を読みふけり
好きなグループサウンズを追いかけ
目の前に有る楽しいことばかりに現を抜かしていました。

生きる指針はどこかにあったはずだとは思うのですが
気づく事は無くまるで張りぼて人間のようだと思います。

だからって親のせいだとは言いませんが一因はあると思います。

それなりの年齢に達すればこのままではいけないと
気がつくのが通常だと思うのですが
私はそのまま一貫性がなく行きあたりばったり生きてきました。
まるで浮草のようだなと今では感じています。

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夫が亡くなった後、居住中であった夫の実家を夫の姉、弟に追われ
同居していた夫の両親は老人施設へ入れられ
時を経ずあっという間に相次いで亡くなりました。
私が心の平安を選んだ結果の出来事でした。

ちょうどその頃実家で一人暮らしの私の母が健康を害します。
実弟夫婦が知らぬ顔の半兵衛を決め込んだため
結局私が母の看病をすることになりました。
検査のため脳神経外科への通院が続き
薬の微妙な調整に長いこと時間がかかりました。

そして間も無く母は息苦しさで歩くことさえ困難になるのです。
心房細動とやらで結局ペースメーカーを植え込むことになります。

ごく自然な流れで私は実家に住むことになります。

あれから丸十年経ちました。

私は現在もそのまま90歳になる母の介護をしています。

ところが‥一貫して実家には戻らないと宣っていた半兵衛夫婦が
なななんと!一作年の5月にいきなり実家への引っ越し宣言をし
自分たちの都合オンリーでこの実家へ越して来るという寝耳に水
窓から槍の様な暴挙に出たのです。

しかも5月に救急搬送され一ヶ月半の入院を終えた母が
ようやく7月半ばに退院できた翌日が引っ越し日だったのです。

酷暑の中弟夫婦のために実家の荷物を私一人に移動させる
弟の私に対する非道さを考えると目眩がしたものです。

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あれから1年半どうにかこうにか
私は入退院を繰り返す母を在宅介護というかたちで看てきました。

義妹も母の入院、心臓弁膜症のカテーテル治療においては
フルタイム勤務の傍ら充分に寄り添ってくれました。

ところが今度はその義妹の状態が最悪とも言っていいくらいの
婦人科系の癌ということなのです。

今年は難病指定である大腿骨の病を持つ弟の手術の予定もあり
今この家は揺れています。

そして‥私はどう流れるのか‥‥
私は一白水星なので水だから流れるのね‥





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wxy812 at 15:44|PermalinkComments(0)

2021年01月26日

母の病状その8

母は昨年の9月に体調が急変し急遽10月に入院。
カテーテル治療のため転院し
再び元の病院へ戻り12月8日に退院しました。
バタバタとではありますが年末年始を無事自宅で過ごしました。

松が取れて生活も普段どおりのリズムを取り戻し
家族の動きも順調に動き出した矢先の1月10日
私は救急車を呼び母を病院へ搬送して頂きました。

病院の救急センターの検査により
母が重篤な状態である事を医師から告げられた私と弟は
集中治療室へと運ばれた母の様子をコロナ禍の中ですが
特別に見ることを許されました。
母は朦朧としておりました‥‥

普段ならばとうに床についているはずの夜の闇の中を
弟夫婦と一緒に最寄りの駅へと足早に帰路につきました。


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記憶をたどり数えてみると今まで救急車を呼んだのは7~8回?
ドクターカーを含めると10回近くになるんだなぁと
実父、義父、夫、実母の順で救急搬送した事が蘇ります。

毎回ドキドキして私自身、寿命が縮むような想いを繰り返しました。


今回の母は、処置の後に医師が驚く程の勢いで復活し
な、なんと!一週間で退院することができたのです。
現在は以前とほぼ同様の生活をしています。

デイサービスだけはもう少し様子をみて申し込もうと思っています。

しかし持病はそのままの状態ですし再び悪化するという事態は
もしかしたら明日?一ヶ月後?半年後?一年後?かもしれません‥
そう遠くはないと想っています。

でもいずれは誰でも通る道です。

介護している者は多少なりとも振り回されますが
これもまた多くの人が通る道ですしねぇ‥‥


母を抱えた今の自分が「大変」だとは思っていません。

「大変」ではないのですが「しんどい」ですねぇ‥

微妙な違いですがそんな心境です。




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wxy812 at 21:05|PermalinkComments(0)

2020年11月23日

母の病状その5

母は先月10月9日に入院しました。
そして19日にドクターカーに乗って転院しカテーテル治療を終え
11月20日に再びドクターカーに乗り元の病院へ戻りました。

そこでリハビリを終え退院帰宅となるかと思いきや
今のうちにリハビリ型の病院を見つけ退院と同時に
今度はそちらへ入院した方が良いという方向性で事が進んでいます。
カテーテル治療により傷ついた血管の問題と
食の極めて細い母の栄養状態を見据えての判断です。

予想外の出来事です。

ここまで長く入院生活が続くという事は
カテーテル治療を施す前に説明されたリスクが
母の身に現実となって及んでいるという事なのです。

予想以上のゴタゴタ感で私自身相当参っています。


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母のカテーテル治療は当初考えていませんでした。
胸水貯留を改善していただいてから家に帰り
今まで通り自然な流れの中で生活する所存でした。

しかし超重症大動脈弁狭窄症で軽度大動脈弁逆流
しかも大動脈弁は三尖とも高度石灰化を認められた上に
その他数多の病態も判明したため
悠長な事も言っていられない雰囲気でした。

退院して家に戻っても又すぐに入院か又は突然死‥‥
一か八かの賭けのような心境になったのは
仕方のないことだったと思います。

医師も患者も改善のための提言と決断だったのですから。

そんな身内の心情を察して最終的な判断をしたのは母自身なのです。
「私はいやだよ!」と言っていればどうだったのか‥



私、「コウノドリ」というドラマを最近観ました。
産科医を通して人間の誕生の現場を描く物語です。

誕生の現場でも昔は救えない命が数え切れない程ありました。
当然のように諦めていた命が
医学の進歩により救えるようになりました。

「救えるからこそ、救われたからこそ苦悩する家族がいる。
命を救う事はどういう事なのかな。難しいね。」
と、いみじくもドラマの中で医師が言ったことばは
片や母の場合年老いた人間の最終段階を見据えての
選択だったわけですが胸に染み入りました。

89歳という高齢のため長引く入院は
認知症と筋力の衰えというリスクも背負っています。
その上病院は現在コロナで面会禁止になっていて
タブレットでの面会しか出来ない状態となっています。

何とも言えない心境です。


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wxy812 at 15:58|PermalinkComments(0)