ペースメーカー

2023年03月31日

在宅介護の介護者は、太る‥私の場合‥


私は小柄で、それこそ今まで妊娠した時以外
50キロという大台に達したことはありませんでした。

一時期、30キロ後半ということもありましたが
ベスト体重が42~45キロという日常を送っていました。

ところが、母と同居してからというもの
体重のリズムはぶっこわれてしまいました‥‥

年齢的な事は、もちろんあると思いますが
致命的な原因は食事と運動量だと思います。
代謝も悪くなっているでしょうしねぇ‥

母との同居は11年に及びました。



KIMG0462


夫亡き後、同居していた義父母の介護をめぐり
夫の姉、弟との間に齟齬や確執が生じた上
御多分に漏れず、相続に関してもひと悶着ありました。

相続に関し、ここへ書くのが憚られるような
強硬手段をとった義姉、義弟に対し
心の浪費をしたくなかった私と息子は
速やかに夫の実家から離れました。

KIMG0501


時を同じくして、母の滑舌がおかしい事に気が付いた私は
母を連れて脳外科へ通院するようになりました。

処方して頂いた薬を服用し、様子を見ていると
滑舌は元に戻り、母にその他の変化はありませんでした。

しかし、ほっとしたのも束の間、しばらく経つと
今度は呼吸が苦しくて、少し歩いては休むという状態となり
かかりつけ医の紹介状を持って大学病院で診てもらうと
検査の結果、程なくペースメーカー装着の体となりました。


KIMG2461


その間、夫の両親はと言いますと
義姉、義弟は私が出た後、即座に二人を老人施設に入居させました。
しかし、その翌年に義父が亡くなり
翌々年には義母が相次いで亡くなりました。

私は震える程驚き、後悔もしました。

実は私が義姉、義弟に追い出されるように家を出た直後
あの東日本大震災があったのです。

心配でたまらず、夫の実家を訪れた私は
当てもなく、縁側に座りこんだ義父と
居間の炬燵で何をするでもなく
所在なく座っている義母を目にしました。

義父は私の顔を見るなり
「ああ!Tさん!助けてくれ!E子の作る食事がさぁ‥」
と、しっかりした食事を摂っていない事を訴えるのでした。

義母は「しょうがないよ‥騙されたんだよ‥しょうがない‥」と
憔悴した様子で私の顔を見て言うのです。

KIMG0517

あの日‥‥「実の娘と息子がやってることじゃないの!
二人とも、自分の娘と息子の言いなりになったじゃないか!」と
何回も呟き、後ろ髪をひかれる想いで帰りの電車に乗った私でした。

夫亡き後も、私と義父母の同居生活は、うまくまわっていました。

レビー小体型認知症の幻視に悩まされていた義母を
病床に臥す前の夫と私とで、心療内科へ連れていき
医師から処方された薬を服用して間もなく
義母の幻視の症状は劇的に無くなりました。

介護認定1の義父は、元々アクティブな人なので
買い物に出たり、庭の手入れをしたり
じっとはせずに元気に生活していました。

3人で話し合って、私は軽い朝食と夕飯を作り
お昼は義父母が好きなものを食べに出たり
お気に入りの調理パン買ってきたりして過ごす事を決めました。

ですから私は日中はフリーでしたので、気ままに過ごしていたのです。


KIMG0940


まあ‥‥色々な事がありましたが、実家に戻った私は
ペースメーカー装着により、落ち着きを取り戻した母と連れ立ち
父の墓参りがてらの小旅行をしたり、お互い自分の生活を
それぞれ楽しむ余裕もできるようになり、順調に過ごしていました。

特急列車に乗車する駅までは私が送っていきましたが
母は入院する前の年まで姉妹達に会うため
毎年一人で列車に乗り、信州の実家へも行っていました。

ところが、90歳という年齢を前にして頑張っていた母の体は
万策尽きたのでしょう‥持病の悪化から伴う不具合により
入退院を繰り返すようになり
とうとう介護認定を受ける事となりました。

母と話し合い、在宅で介護の日々を過ごす事にしました。

母の介護生活が始まると、私は遠出はできなくなりました。
制限のある母の食事は神経を使いましたが
亡くなる一年位前に、制限食のお弁当を見つけ
冷凍で2週間分づづ送ってもらうようになると、大分楽になりました。

長時間、母を一人にできないので
近所への買い物もそそくさと済ませ帰るようになりました。

月曜日は在宅クリニック、火曜日は在宅リハビリ、水曜は在宅歯科
木曜日は在宅看護、月2、3回はタクシーで大学病院や眼科へ行き
その他ケアマネの訪問、介護用具の点検、取り換え、入浴など
頻繁に人の出入りはあるし、移動はあるし
ドタバタと賑やかに、忙しく、そして意外にも楽しく過ごしていて
自分が刻々と太っているような感覚は皆無でした。

今になって、よーく考えてみると
約4年間、意識して運動はしていないし
長距離を歩く事もありませんでした。

忙しく体を動かしているような感覚は
実は、気持ちの上だけのものだったのです。


KIMG0488


健康診断で、医師に総コレステロール値が高いので
薬を処方しますと言われ、「え!?ちょっと、待ってください
なんとかします!もし次回の検査で数値に変化が無かったら
処方お願いします」と思わず私は言いました。

驚きました。他の数値は悪くはないのに
総コレステロール値が…だって‥‥

子供が幼なかった頃と同じ感覚で
食の細くなった母が残した食事をペロリと平らげ
その上、母にカロリーを摂らせるようにと医師に言われ
母へ用意するおやつにもしっかりと便乗していた私でした。

今思えば、語弊があるかもしれないのですが
母の在宅介護生活は、お祭りのようでした。
その中で夢中で過ごした結果が現在の私です。

気が付くと、体重が‥ウ‥‥ん‥
お腹は引っ込まないし‥ジーパンのウエストが‥き、きつい‥
という状態です、介護の副作用のような状態に驚いている私です。

そんなはずないんだけどな‥‥毎日あんなにワサワサだったのに‥
軽い介護ロスとでもいうような状態にもなっている私でもあります‥

というわけで、現在は毎日歩き、自分なりの運動をしています‥
と言いたいのですが、毎日というわけにはいかず‥‥
さぼる日は結構あります。

まあ、何とかします‥何とかしなくちゃ!うん‥








にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村











mixiチェック
wxy812 at 21:53|PermalinkComments(0)

2021年06月22日

推し活停滞期‥

「ああ‥」と出るため息は‥悔しさ、諦め、悲しさが入り交じり
ぽっかりと穴の空いた心の切ない叫びとも言えます。

夫が亡くなった時、親族との葛藤が生じた時
母の手術、入退院が続いた時、降って湧いたような
実弟夫婦の「突入同居」の時‥‥

なんとか乗り越えて来られたのは
高橋一生さんという俳優の存在があったからです。

「推し」である一生さんから発信される
明日へ続くワクワクの予感があったからこそ
深く落ち込む事なく過ごしてこられたと言っても
決して過言ではありません。


DSCF1203


「推し」という言葉に未だになじまない私ですが
かといって、「ファン」という言葉では済まされないのも確かです。

今回は「フェイクスピア」を観ることが出来ず
その上「るろうに剣心」も無理かなぁ‥‥という事態に‥

目一杯の介護時間の上に
今回は眼科治療(もしかしたら手術)‥
ペースメーカー入れ替え等の日程調整と説明
入院、心臓植え込みデバイス手術が加わりつつあります。

特に眼科は在宅診療は出来ませんので
本人が直接通院しなければならないので難儀です。
タクシーの配車を頼み、歩行器や杖を駆使しなんとかたどり着き
診察後、再びタクシーの配車を頼み帰宅となります。

改めて在宅介護という生活は程度の差こそあれ
介護をする側にとっては必然的に行動の自由が制限されますし
時間の拘束は計り知れません。

昨年秋から今年初旬にかけての大波からやっと脱し
漸くさざなみに近くなったと思ったら
再び大波に飲まれる寸前です。

その上高齢の母の移動に際し、コロナ感染には相当気を使います。
私は7月に2回のコロナの予防接種を予約していますが
母は在宅でお願いしていますのでまだまだ先になりそうです。

もし私にワクチン接種の副作用が出てしまったら
どうなるんだろう?など不安もつきまといます。

どんな事があっても平常心で過ごしたいものですが
ここしばらくの状況下で心を右往左往させてしまいがちです。

そりゃ、ため息も出てしまいます‥

E1lOkp1VoAAIVuX
                  氷結 CM

頻繁に流れる一生さんのCMが一服の清涼剤ってところです

E3jGw1jUUAIaQNx
                                    AmazonPrimeVideo CM

そして‥小さな楽しみは‥一杯?二杯?のこれですかねぇ

DSCF1229

このスーパードライAsahi生ジョッキ缶は店に並んですぐに
売り切れ状態となっていました。

開けるとモコモコと泡が盛り上がってきます。

わぁー!って感じで気分が盛り上がります。

私って単純でもあるのよね





にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村




mixiチェック
wxy812 at 21:33|PermalinkComments(0)

2020年09月16日

母の病状

母はペースメーカーを装着している身なのですが
肺に水が溜まるという症状により呼吸がスムーズにいかず
88歳という高齢で昨年5月後半から7月の半ばまで
2ヶ月近くの入院を余儀なくされたことで
言わずもがな、筋力が衰え歩けなくなりました。
その上膝関節症もあります。

しかし1年間こつこつとリハビリを重ね
よちよちではありますが手押し車を使い
休み休み外を歩く事ができるようになりました。


ところが12日再び呼吸が荒くなり胸の痛みを訴えたのです。
13日の日曜日、在宅クリニックに往診をお願いしました。

酸素吸入装置を入れ母を看るか、救急車を呼び入院するか
医師から選択を迫られた私は酸素装置を選びました。

なぜかと言いますと入院しますと筋力が再び衰えるし
認知症等の心配もあります‥

DSCF3987


大学病院で診て頂く為、在宅クリニックからの紹介状を持ち
昨日朝5時半に母を起こし、慣れない酸素ボンベを引き
母を叱咤激励しながら朝8時半病院に到着しました。

手続きをし問診、検査、診療が終了し
時計を見ますと午後3時をとうにまわっていました。

痛がっていた母の左胸はレントゲン検査により
以前の入院時より白い部分は少なめではありましたが
水が溜まっている部分が白く肺を覆って写っていました。
普段は70前後の脈拍は130とのことでした、

ところが私は治療に至るのかと思ったのですが
在宅クリニックからの情報が少なすぎるということで
治療は出来ませんと言われる始末‥

その上母の病歴、以前のかかりつけ医から在宅診療へ移行の経緯
薬の量的な移行の経緯、成り行きの時間系列等の私の記憶が曖昧で
医師の矢継ぎ早の質問にうまく説明できない始末でした。

「この病院ではあなたのお母さんのペースメーカーの手術を
しただけ!ペースメーカー外来は治療じゃないんだよ!」と諭され
在宅クリニックでの薬の処方や診療にも
首かしげる仕草で納得いかない様子でした。

KIF_0744

母の病歴等を時間系列で図にでも起こして精査していれば良かったと
病院からの帰り道、私は自分の甘さと杜撰さに呆れ
落ち込み凹みました。世間知らずもいいところです。

結局再度25日に検査を重ね
29日に検査結果を元に診療をするということになりました。

現在の母の状態をただただ少しでも良くしていただこうと
軽く考えていた私が迂闊でした。

DSCF2590

昨年の1月母は転んで膝を打ちそのまま立ち上がれなくなりました。
骨折かもしれないと思った私は救急車を呼び
半月程、近くの病院に入院しました。
結果は骨折ではなく変形性膝関節症の悪化でした。

退院後一駅先のかかりつけ医へ通院する事が難儀でしたので
1年前から在宅クリニックにお願いしたわけです。

大学病院の医師がおっしゃるように以前のかかりつけ医のデータや
昨年入院した病院のデータも
あった方がそりゃいいわけですが‥‥‥ため息が出ます。

人それぞれ事情があるわけで‥
大学病院が気に入る完璧な紹介状を携えて行かなければ
治療には至らないようです。

果たして母の体は25日の検査、29日の診療まで
現在の状態でいられるのか?

13日に救急車を呼んだ方が良かったのか‥

DSCF2622


今想いますと
亡くなった父、夫の時も病院との関わりがどうもうまくいかず
やはり落ち込んだり、悩んだりした事が蘇ります。
どうやら同じ轍を踏んでいるようです。

体の異変は急激なことなので何があっても良いように
体の履歴書のようなしっかりとした覚え書きとデータを
自分はもちろん世話をしていただく方が
医師とスムーズに付き合えるように
用意しておく事も大切だなと想う今日このごろです。


親族、知り合いに循環器内科の医師がいたら良かったなあ‥
と、つくづく想います‥


にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村


mixiチェック
wxy812 at 11:57|PermalinkComments(2)