世阿弥

2021年04月29日

未だ冷める事のない一生さんへの想い

私は熱しやすく冷めやすい人間で
気にいると、わっと飛びつき、いっとき夢中になるのですが
気がつくとしらっとしている自分がいます。

そんな私が高橋一生さん推しという意識を13年も持ち続け
しかも日に日に盛り上がるメカニズムはどうなっているのか?
不思議としか言いようがありません。

私は「医龍2」で高橋一生という俳優が妙に気になってしまい
出演番組を追いかけるようになりました。

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             フジテレビ 医龍2

あれから13年、一生さん出演のドラマ、舞台、映画、バラエティー
一生さん記載の雑誌等を拝見しながら過ごしてきました。

ここ3~4年の一生さんの露出度は目覚ましく
ドラマ、映画などの作品が目白押しで
余韻に浸るまもなく次の作品へ突入ということもしばしばです。
以前でしたら一生さん記載の雑誌は必ず購入していたのですが
記載誌が多すぎるのでページ数や内容で選んでいます。

「なり得たかもしれない自分」という
一生さんの芝居に向き合う姿勢は以前から雑誌等で目にしますが
一貫していてぶれることはないです。
一生さんがよく使われる穿つという言葉は
このスタンスを崩すこと無く
同じところを叩き続ける先にある言葉であることがわかります。

役作りはしないというスタンスは必然的で
台本には書き込みもほとんどなく綺麗な状態のようです。
読み込み過ぎると紙粘土のように固くなってしまう気がする
と述べられています。

台本に描かれている人物の目線でこれは自分だと思い読み進め
それ以上は組み立てることはしないそうです。
台本に忠実にやっていけば別の人に見えるのでは?という見解なので
余計な書き込みはしないのでしょうね。

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            NHK大河ドラマ おんな城主直虎        

小さな頃から「誰か」になる事が好きだった一生さんは
電車の中などで挙動不審な子をやったら
大人はどれくらい心配してくれるだろうか?など
ごっこ遊びの延長で面白さを感じていたそうです。
でも「別の誰か」をやっているのになぜ「自分」なんだろう?
という不思議さもすでにこの頃感じていたようです。

ですから役にジャンプして別人になるような芝居は
想像するだけの芝居になってしまうので出来ないそうです。
小さい頃電車の中でやっていた「なり得たかもしれない自分」が
芝居の基本だからです。あくまでも自分がベースだからなのですね。

他人の中に自分を見る事ってありますよね。
「なり得たかもしれない自分」が正にそこにあるのだと思います。
自分が違う環境に生まれ育ったら今の自分とは性格も感受性も
全く異なる人物になっているかもしれませんよね。

一生さんの場合作品によって違う人に見えてしまうのは
役の人物を自分だと思い生きているからなのでしょうね。
今まで演ってきた役柄を観ていますと
雰囲気はもちろん容貌まで変化して見える事もあります。

因みに私と一生さん好きの友人は一生さんの話題というより
政次とか家森というように途轍もなく魅力的な登場人物について
延々と語ったりします。


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             TBS カルテット

また、世阿弥の「離見の見」のように観客に見られた自分の姿を
客観的に見ることが俳優には大事と言うことを一生さんは
割と頻繁に述べられます。

独りよがりの芝居は見ただけで終わります。
観客が入る余地があり余白があり、余韻のあるお芝居こそ
お芝居として存在し得る最低の条件だと思いますよね‥

真摯で実験が大好きな一生さんのお芝居に惹かれるとともに
一生さんそのものの存在が多面体過ぎて
わかるようでわからない、わからないようでわかる
そんな不思議さにも魅力を感じるのですが
それは一生さんの言葉の魔法に翻弄されているのかもしれません‥
煙に巻かれているってことなのかしら?

いえいえ!!わかりますよ!
そりゃ何もかもとは言いませんが
あなたがとってもチャーミングで負けず嫌いで
真面目で、人一倍思いやりがあり、優しくて公平で
今を一生懸命に生きている事ぐらいは感じ取れます。

そして誤解しないでください
一生さんの言葉は一貫性の有る中での言い回しが
受け取る側に理解力が有るか無いかの事だけですので‥

実は一生さんの考え方、感じ方に私は助けられた事があります。
これからもずっと見ていたいと思います。







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wxy812 at 22:16|PermalinkComments(0)