塩焼きそば
2021年05月20日
推しの言葉‥
母はお陰様で今年の3月で
90という齢を重ねさせていただきました。
最近の90歳代は皆さんしっかりしていて
しゃかしゃかとお一人で行動されている方も
近所に大勢いらっしゃいます。
しかし個人差があるのは当然で
母は在宅介護でようやっと生活ができている状態です。
そんな母は、ご多分に漏れずと言いましょうか
まあ、致し方のない事と言いましょうか‥
最近、現在と過去が混ざり合うようになってきました。
まだそれ程顕著ではないのですが、昔の事を昨日あったように話す母に
私は我慢できず「違うでしょう!それは10年も前の事でしょ!
しっかりしてよ!」と、つい感情的な言い方をしてしまいます。
母の存在がどこか遠くに有るように感じてしまい
なんとかして以前のしっかりとした母を取り戻さねばと
わかっちゃいるけど焦るような気持ちになってしまうのです。
身内だと感情が先走ります‥
最近、介護は在宅ではなく施設の方が良かったのかな?
と、今になってつくづく思います。
その方が親と子の関係が感情的にならずにすみそうです。
そんな時、以前雑誌で読んだ高橋一生さんの記事を
ふっと思い出したのです。
『亡くなった僕の祖母も最後は認知症になって‥
徐々に記憶が曖昧になっていきました。
けれどそれって、互いに「さようなら」を言うための
準備期間なんだと思いました。
忘れていくのはすごく優しい事でもあるんだと。』2018.11文藝春秋より
病院というクッションをおいているからかもしれませんが
おお!なるほど‥そんなふうに考えられるのは素敵だと思います。
そして、その記事には私自身も曾て経験した
本人にしかわかり得ない亡き人との関わりがもたらす
感情のうねりの瞬間が描かれていました。
『僕、祖母が亡くなった時は泣けなかったんですが
ある時タッパーを見つけて、一気に感情が高ぶって泣いてしまった。
まだ祖母が元気な時、僕が塩焼きそばを作って
タッパーに入れて病院に持って行ったら
「美味しい美味しい」って言って食べてくれたんです。
その後介護をしている間僕はその事を
すっかり忘れてしまっていました。
けれど祖母が亡くなった直後病室の整理をしていたら
そのタッパーを見つけたんです。
その瞬間祖母の記憶がブワッと戻ってきて
涙が止まらなくなったんです。』2018.11文藝春秋より
なんて優しい、なんて温かい
なんて愛そのものの出来事なんだろう!
小さな頃から祖母様っ子であった
一生さんの素直な感情の流れだったのでしょう。
私自身も父親、夫、祖父、祖母と身内との臨終に立ちあいました。
その瞬間はドラマのように「わぁーっ!」と泣きはしませんでした。
亡くなった人は召された瞬間に懇意にしていた人々の胸に宿ります。
まだ日が浅いと、亡き人と関わった場所、会話
品物などがきっかけとなり
亡き人との「時間」が蘇ることがあります。
間違いなく刻まれた時を感じ、その時の自分の想いや
亡き人の温もりや息遣いが体をつつみ込むように巡ります。
もう会えないという現実をより強く思い知らされ
その刹那高ぶった感情は
涙と共に間欠泉のように吹き出す時を迎えます。
一生さんのその時の心模様は充分に理解できます。
TBS サワコの朝 より
一生さんのどこがどう好きなのかなぁ‥‥と想うのですが
語彙力、表現力が乏しいので上手に書くことができません‥
もちろんお芝居は言うまでもありません。
観る度に惹きつけられ、一挙手一投足を見逃すまい
というような気持ちで見入ります。
お祖母様との出来事のような一生さんのコメント記事や
バラエティー番組などから醸し出される人となりは
あくまでもお仕事の一環での様子とは言え
会話や動作や表情を観ていれば伝わるものがあります。
話す言葉の選び方とその内容などは
ずっと同じ一本の道から外れることのない一貫性があります。
その真摯でひたむきな姿勢が大好きです。
もちろん、お顔もお声も全てが魅力的な方です。
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90という齢を重ねさせていただきました。
最近の90歳代は皆さんしっかりしていて
しゃかしゃかとお一人で行動されている方も
近所に大勢いらっしゃいます。
しかし個人差があるのは当然で
母は在宅介護でようやっと生活ができている状態です。
そんな母は、ご多分に漏れずと言いましょうか
まあ、致し方のない事と言いましょうか‥
最近、現在と過去が混ざり合うようになってきました。
まだそれ程顕著ではないのですが、昔の事を昨日あったように話す母に
私は我慢できず「違うでしょう!それは10年も前の事でしょ!
しっかりしてよ!」と、つい感情的な言い方をしてしまいます。
母の存在がどこか遠くに有るように感じてしまい
なんとかして以前のしっかりとした母を取り戻さねばと
わかっちゃいるけど焦るような気持ちになってしまうのです。
身内だと感情が先走ります‥
最近、介護は在宅ではなく施設の方が良かったのかな?
と、今になってつくづく思います。
その方が親と子の関係が感情的にならずにすみそうです。
そんな時、以前雑誌で読んだ高橋一生さんの記事を
ふっと思い出したのです。
『亡くなった僕の祖母も最後は認知症になって‥
徐々に記憶が曖昧になっていきました。
けれどそれって、互いに「さようなら」を言うための
準備期間なんだと思いました。
忘れていくのはすごく優しい事でもあるんだと。』2018.11文藝春秋より
病院というクッションをおいているからかもしれませんが
おお!なるほど‥そんなふうに考えられるのは素敵だと思います。
そして、その記事には私自身も曾て経験した
本人にしかわかり得ない亡き人との関わりがもたらす
感情のうねりの瞬間が描かれていました。
『僕、祖母が亡くなった時は泣けなかったんですが
ある時タッパーを見つけて、一気に感情が高ぶって泣いてしまった。
まだ祖母が元気な時、僕が塩焼きそばを作って
タッパーに入れて病院に持って行ったら
「美味しい美味しい」って言って食べてくれたんです。
その後介護をしている間僕はその事を
すっかり忘れてしまっていました。
けれど祖母が亡くなった直後病室の整理をしていたら
そのタッパーを見つけたんです。
その瞬間祖母の記憶がブワッと戻ってきて
涙が止まらなくなったんです。』2018.11文藝春秋より
なんて優しい、なんて温かい
なんて愛そのものの出来事なんだろう!
小さな頃から祖母様っ子であった
一生さんの素直な感情の流れだったのでしょう。
私自身も父親、夫、祖父、祖母と身内との臨終に立ちあいました。
その瞬間はドラマのように「わぁーっ!」と泣きはしませんでした。
亡くなった人は召された瞬間に懇意にしていた人々の胸に宿ります。
まだ日が浅いと、亡き人と関わった場所、会話
品物などがきっかけとなり
亡き人との「時間」が蘇ることがあります。
間違いなく刻まれた時を感じ、その時の自分の想いや
亡き人の温もりや息遣いが体をつつみ込むように巡ります。
もう会えないという現実をより強く思い知らされ
その刹那高ぶった感情は
涙と共に間欠泉のように吹き出す時を迎えます。
一生さんのその時の心模様は充分に理解できます。
TBS サワコの朝 より
一生さんのどこがどう好きなのかなぁ‥‥と想うのですが
語彙力、表現力が乏しいので上手に書くことができません‥
もちろんお芝居は言うまでもありません。
観る度に惹きつけられ、一挙手一投足を見逃すまい
というような気持ちで見入ります。
お祖母様との出来事のような一生さんのコメント記事や
バラエティー番組などから醸し出される人となりは
あくまでもお仕事の一環での様子とは言え
会話や動作や表情を観ていれば伝わるものがあります。
話す言葉の選び方とその内容などは
ずっと同じ一本の道から外れることのない一貫性があります。
その真摯でひたむきな姿勢が大好きです。
もちろん、お顔もお声も全てが魅力的な方です。
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wxy812 at 20:07|Permalink│Comments(0)
2019年01月09日
blank13コウジの感情
「台本には葬儀の後、コウジは泣くとありましたが、一生さんは実際の葬儀で泣けなかった、悲しい時に泣くわけじゃないと教えてくださって」
— ミドリ (@Isseymidori) 2018年12月28日
貴重なお話なので是非に🙏#高橋一生#斎藤工#齊藤工https://t.co/yaNDLudrYk
人間の感情には悲しいから泣くとか
嬉しいから笑うなんていう公式は無いです。
私は今まで何回か身内を看取りました。
それぞれの状況にもよるのでしょうが涙は出ませんでした。
しかし思ってもみなかったタイミングで急に涙って出たりします。
嬉しい時だって笑うのではなく逆に涙にむせぶ事だってあります。
blank13の葬儀場面の一生さんもそんな人間の感情状況を
経験なさっていたからこそ齊藤工監督に提言できたのでしょう。
一生さんはお母さま祖母様を看取られた時は
涙は出なかったそうですが
祖母様を看取られた後、病室の後片付けをしていた一生さんは
出てきたタッパーを見て思わず泣いてしまわれたそうです。
それはお祖母様のお見舞いの折
一生さんが自ら作った塩焼きそばを
入れて持ってきたタッパーだったからです。
孫の作った塩焼きそばを「美味しい!」と言って
お祖母様は食べられたのです。
その時のタッパーが忘れられたまま病室に置いてあったのです。
人間の感情の幹には
枝葉が数えきれない程別れて伸びているのでしょう。
予想がつかない場面で溢れ出てくるものです。
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blank13【Blu-ray】 [ 高橋一生 ]
wxy812 at 13:50|Permalink│Comments(0)