日生劇場

2020年12月18日

天保十二年のシェイクスピア!Blu-ray届く!



一昨日待ちに待った
「天保十二年のシェイクスピア」のBlu-rayが届きました。

無理やり引き離された恋人にやっと会えたような心境です。


絢爛豪華、祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」は
日生劇場において今年2月8日に初日を迎え29日までが東京公演
梅田芸術劇場メインホールにおいて
3月5日から10日までが大阪公演の予定でした。

お陰様で私は2月9日、22日の2回日生劇場で観劇出来ました。
そして‥あと一回観に行けるという
算段がつきました日程の瀬戸際である
27日(木)の13:00開演の部をもちまして
政府の新型コロナウイルス感染対策の方針に鑑み
残念ながら公演中止となってしまいました。

1月の「ロマンスドール」のトークイベントで
一生さんを間近で拝見し、興奮醒め遣らぬままなだれ込み
酔いしれながらの観劇でしたので
一挙に奈落の底へ落とされような体感でした。


最終公演となってしまった27日13時の部公演終了後
今回公演の主演を努めた高橋一生さんの挨拶がありました。

要約しますと‥
「コロナウイルスに対し自分たちに出来得る限りの事を尽くしましたが
東京公演の千穐楽を明後日、大阪公演の大千穐楽もあと少しのところで
公演中止となり心の底から無念としか言いようがありません。
とかく「お芝居」という分野は事あるごとにとかげの尻尾切りのように
世の中から捨て置かれてしまう存在だと思っています。
しかし娯楽が世の中からなくなってしまったら
「豊かな心」が失われます。
お芝居の場は「想像力」を共有する場所です。
今回は残念ですが又皆様と想像力を
共有できるための措置だと願っています。」という
お芝居の世界全体を見据えての挨拶でした。

一生さんの舞台をずーっと観たくて観たくて‥
漸く積年の思いが叶ったこの時期にこのような未曾有の出来事が
重なってしまうとは想像もしていませんでした。

そして「天保十二年のシェイクスピア」は
一生さんが挨拶をした最終公演の翌日
2020年2月28日日生劇場において無観客上演での収録となりました。
その日収録された映像が手元の届いたのです。

収録中の一生さんをはじめ全ての俳優さんの想いを想像しますと
感極まる想いです。
昨日まで劇場を埋め尽くしていた熱気と強い気配と想いは
そのまま留まっていたと想います。
声援は最高潮に達していた事でしょうね‥
  


このところ母の介護の手が混んできてしまい
まだ観ることができませんが
とっても楽しみです。








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2020年02月10日

天保十二年のシェイクスピア!観てきました





2月8日(土)日生劇場で開演を迎えました
「天保十二年のシェイクスピア」ですが
公演2日目の昨日9日12時30分からの公演を観てまいりました。

第一幕が12時30分から14時10分までで20分の休憩があり
第二幕が14時30分から16時5分まででした。
3時間35分という上演時間でした。

一生さん見たさの観覧でしたが
観てみればしっかりとした戯曲の骨組みと
しっかりとした役者さんの真骨頂を
目の当たりにするチャンスに恵まれ
私としてみればそれこそ芳潤とも言える
一日であったことは間違いありませんでした。

舞台の色、雰囲気は正に絢爛豪華というキャッチフレーズに
偽りはございませんでした。

それに伴う芝居、脚色そして音楽が私にとりまして
心震えると言えばよいのか琴線に触れるとでも言えばよいのか‥
心に刻印を押されたような舞台でした。

あの空間で流れる時間に乗って起こる出来事
つまりあの時の「天保十二年のシェイクスピア」という舞台は
2度と無いあの日あの時だけを目撃してしまった
あの場にいた人達だけものなんだなあと想いますと大切な記憶です。

高橋一生さん配役の「佐渡の三世次」ですが
百姓の出で醜い顔と体を持ちながら上昇志向が極度に強く
知恵を使いながら冷徹な所業をやってのけ
這い上がっていく人間です。




描かれている世界での三世次にとっては
自分という存在を最大限にアピールし
持っている力を良くも悪くも出し切った生き方だったと思うのです。

人間は与えられた時代、環境、容姿と対峙し
自分という存在を確認して生きていきます。
三世次は自分という存在をしっかり意識していたからこそ
あのような生き方を選ぶというよりそうするしか
なかったように感じました。
相対的な生き方だったと想います。

しかし気が付きますと
三世次は徐々に対峙するものが無くなっていくのです。
自分が見えなくなった三世次に与えられた運命とは‥

高橋一生さんの三世次は芯からの悪人には見えず
どこか哀愁が漂って見えました。
しかしその実しっかりと計算し言葉を巧みに使いながら
あまり自分自身の手を汚さず仕向けていくのが三世次の手法です。

劇中三世次が歌う歌はファルセットと地声とが交互に絡まり合い
台詞のように何気なく台詞もまた歌のようになめらかに
言葉の魔術師の如く周りの者をまるで演出家のように
自分の思い通りに操っていくのですが
この様の一生さんの芝居が
本当に見事で口をあけ見入ってしまいました。

三世次という存在はこの戯曲の中全てに有ります。
三世次の居ない場面においても人物達が話し行動する様子は
三世次が仕向けた事なのです。
高橋一生さんの三世次は見え隠れする三世次の存在を
抑えた芝居でしかも存在はしっかりと醸し出しながら
巧みにコントロールしていました。

流石と思ったのは視線を向ける眼力の強さが半端なく強く
大きく見開き睨みをきかす時の白目が極端に目立ち迫力がありました。
あの舞台化粧が功を奏しているのだと思いますが
三世次という人間がどれだけ真剣に生きているかが
伝わり胸が熱くなりました。

高橋一生という役者の演る三世次が
あまりにも三世次なので
一生さんをそこに窺い知る事ができないくらいで
すごい役者さんだなと改めて思いました。
しかしながらめくれ上がった着物の裾からお目見えする
ギュッとしまったふくらはぎの白さに思わず見入ってしまい
自分はなんという贅沢な時間を過ごしているのだろうと
同じ空間を大好きな役者さんと共有できる事に感謝しました。

あともう一つ‥この戯曲には濡れ場が何回も出てきます。
物語は濡れ場を機に転換していく仕上げになっているように思います。
男と女の結びつきが物語の芯を支え変化していく様が描かれる
そんな印象も受けました。

「天保十二年のシェイクスピア」もう一度観たいです。
っていうか何度でも観たいです。


ああ!神様!私に時間とチケットをたくさん
いただけないでしょうか

【追記】
GC階の席の私は20分の休憩時間に
トイレへ行ったのですが4つしかないGC階トイレに
1階席2階席の方々が並んでしまったので
長蛇の列となりました。
係員の方がGC階以外の方はご自分の階のトイレを
ご利用してくださいと指示した途端一挙に50人程が5~6人となり
お陰様で第2幕にギリギリ間に合いほっとしました。




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2020年02月05日

天保十二年のシェイクスピア!いよいよです!

「天保十二年のシェイクスピア」が
いよいよ2月8日(土)初日を迎えます
東京公演は日生劇場にて29日(土)まで
大阪公演は3月5日(木)~10日(火)まで
梅田芸術劇場メインホールで上演されます。



待ちに待った高橋一生さん主演の舞台です。
一生さんにとって舞台はレディエント・バーミン以来4年ぶりです。

「天保十二年のシェイクスピア」は
江戸末期の講談宝井琴凌作「天保水滸伝」に
シェイクスピア全作をおとしいれ井上ひさし氏が描いた戯曲です。

出演者は浦井健治さん、唯月ふうかさん、辻萬長さん
梅沢昌代さん、木場勝己さん、玉置孝匡さん、土井ケイトさん他

出口典雄氏演出で1974年に初演
2002年には劇団☆新感線いのうえひでのり氏演出
2005年には蜷川幸雄氏演出で上演されました。

今回は蜷川幸雄氏の演出助手を努めていた
藤田俊太郎氏が演出を担当し音楽劇として上演されます。




2005年の「天保十二年のシェイクスピア」の時の藤田氏は
助手一年目ということもあり現場について行く事もできず必死で
一生懸命稽古場へ通い何かできる事はないかと探し
あまりに辛くてその年の記憶はほとんど無いそうです。

その後10年間蜷川氏の助手として氏の仕事を間近に見てきました。

井上氏の描いたテーマ、趣向から外れる事なく自分独自の
「天保十二年のシェイクスピア」ができるはずと感じているそうです。

話は江戸時代末期の天保年間
旅籠を仕切る年老いた侠客の身体譲りが発端となり
3人の娘を巻き込みながらの縄張りをめぐる骨肉の争いを
シェイクスピアの名場面を盛り込み描かれます。
高橋一生さんが演じる佐渡の三世次は
「リチャード三世」「オセロー」など
シェイクスピア悪のキャラクターを一手に引き受けて登場します。

藤田氏はこの戯曲はたくさんの登場人物の群像劇だと思わせ
実は佐渡の三世次の一代記であることが明らかになる
と述べられています。(アクトガイド2020Season5より)

結局陰で人を操りたくさんの登場人物を
手中に収めていた三世次ですが上り詰めることはないようです。
「三世次」と言う名の中にリチャード三世の名称を有してはいるものの
『次』という名の一部から『王』ではない
ということが端から示されています。

天保十二年のシェイクスピアに関する資料を何冊か読み
当初この戯曲についての評判は紆余曲折があった事がわかりました。
しかし着地点としてはシェイクスピアのパロディを
いまや越えたところにあるのではと感じました。

実は2005年の蜷川氏演出の舞台を知り合いが観ていまして
シェイクスピア作品は「ロミオとジュリエット」くらいしか知らず
観覧したそうですが特に困ったことは何もなかったそうです。
シェイクスピアのパロディ抜きに観たとしても
骨組みのしっかりとした戯曲でとても楽しめたそうで
今でも記憶にしっかり根付いているようです。
もちろんシェイクスピア作品に精通していれば
クスッと笑う場面も多くなろうかと思われますし
奥深く何倍も楽しめること間違いなしだと思います。

とても楽しみにしていることは
この戯曲は濡れ場に物語を左右する方向性があるようで
今回はどういう表現になるのか今からワクワクします。





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