田中麗奈
2020年02月04日
暗いところで待ち合わせ!DVD観ました
こうなったらと思いまして
映画「暗いところで待ち合わせ」の
DVDを観てみました。
我慢できなくなってしまったのです。
一生さんがあれだけ胸を焦す想いをした作品なのですもの‥
監督天願大介・キャスト田中麗奈、チェン・ボーリン、井川遥
宮地真緒、岸部一徳、佐藤浩市、波岡一喜、佐野史郎他
初っ端からなんですが
大石アキヒロの設定が中学生の頃日本に帰国した
中国と日本のハーフという設定にのけぞりました。
へえ‥なんでと思わざるを得ませんでした。
違和感を感じると共に安易さを感じてしまい残念でした。
その設定の方が心理描写を端折る事が出来るからかしら
申し訳ないのですがアキヒロの背景が短絡的で
落とし所が直接すぎて奥行きを感じる事ができませんでした。
ストーリーが氷上を滑るように流れていったという感じでした。
なんでなんだろう?
生意気言ってすみません。
しかし田中麗奈さんの芝居は最高でした。
盲目の人間を大層でなくふんわりと表現していて
健気に生きる様子もしっかりと日常に組み込まれていて
さらりと演ってのけていました。
か細くて可愛くて危なっかしくて守ってやりたくなりました。
不安、心配、悲しみ、怒り、喜び
視線を使うことも出来ず瞳を自由に動かすことも出来ず
表情だけで心の中を表現するって容易では無いと思います。
映画 暗いところで待ち合わせ
そしてエンディングの事なんですが‥
全ての出来事が一段落した後
アキヒロは会社を辞めアパートを追い出されます。
で、気がつくとミチルの家にいるのです。
原作を読んだ時もえっ?と感じた箇所なのですが
まあ、それはいいとして‥
映画でのアキヒロの雰囲気と
チアキの家の炬燵にあたりながら発する言葉のニュアンスに
私はどどっとずっこけてしまいそうでした。
大筋のストーリーは小説のままなのです‥
違う物語を観ているとまでは言いませんが
世界観が違いました。
ああ‥もったいないと思ってしまいました。
素晴らしい役者さんを起用しているのですが
なんだか取って付けたような感じというのか
無理やりねじ込んでしまったような感じがするのです。
これが私の感想です。
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暗いところで待ち合わせ DTSデラックス版 【DVD】
映画「暗いところで待ち合わせ」の
DVDを観てみました。
我慢できなくなってしまったのです。
一生さんがあれだけ胸を焦す想いをした作品なのですもの‥
監督天願大介・キャスト田中麗奈、チェン・ボーリン、井川遥
宮地真緒、岸部一徳、佐藤浩市、波岡一喜、佐野史郎他
初っ端からなんですが
大石アキヒロの設定が中学生の頃日本に帰国した
中国と日本のハーフという設定にのけぞりました。
へえ‥なんでと思わざるを得ませんでした。
違和感を感じると共に安易さを感じてしまい残念でした。
その設定の方が心理描写を端折る事が出来るからかしら
申し訳ないのですがアキヒロの背景が短絡的で
落とし所が直接すぎて奥行きを感じる事ができませんでした。
ストーリーが氷上を滑るように流れていったという感じでした。
なんでなんだろう?
生意気言ってすみません。
しかし田中麗奈さんの芝居は最高でした。
盲目の人間を大層でなくふんわりと表現していて
健気に生きる様子もしっかりと日常に組み込まれていて
さらりと演ってのけていました。
か細くて可愛くて危なっかしくて守ってやりたくなりました。
不安、心配、悲しみ、怒り、喜び
視線を使うことも出来ず瞳を自由に動かすことも出来ず
表情だけで心の中を表現するって容易では無いと思います。
映画 暗いところで待ち合わせ
そしてエンディングの事なんですが‥
全ての出来事が一段落した後
アキヒロは会社を辞めアパートを追い出されます。
で、気がつくとミチルの家にいるのです。
原作を読んだ時もえっ?と感じた箇所なのですが
まあ、それはいいとして‥
映画でのアキヒロの雰囲気と
チアキの家の炬燵にあたりながら発する言葉のニュアンスに
私はどどっとずっこけてしまいそうでした。
大筋のストーリーは小説のままなのです‥
違う物語を観ているとまでは言いませんが
世界観が違いました。
ああ‥もったいないと思ってしまいました。
素晴らしい役者さんを起用しているのですが
なんだか取って付けたような感じというのか
無理やりねじ込んでしまったような感じがするのです。
これが私の感想です。
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暗いところで待ち合わせ DTSデラックス版 【DVD】
wxy812 at 10:20|Permalink│Comments(0)
2020年02月01日
暗いところで待ち合わせ読了
乙一さんの長編小説「暗いところで待ち合わせ」を
遅ればせながら読了しました。
初版発行は幻冬舎から2002年(平成14年)ということです。
乙一さんの小説を読むのは初めてではなく
2003年の短編集「ZOO」を読んだ事があります。
独特な世界観が漂う短編集でした。
どちらかと言うとミステリー要素の強さを感じましたが
ダークな色合いが強いかと思えばそうでもなく
しっかりと光を感じとる事ができる内容だったと記憶しています。
今回「暗いところで待ち合わせ」を限定して読んだ理由は‥
以前高橋一生さんがこの作品を読んだ時
登場人物のアキヒロをすごく素敵だなと思ったそうです。
役者さんですからご自分をアキヒロに見立て
映像の中での全体像を想像したと想います。
その後、まさにこの作品が映画化される事を知った一生さんは
思い入れのあるアキヒロという人物のお芝居を
自分で演ることができない悔しさにより
生じてしまった負の感情を
ジョギングをして抜きさろうとした程だったそうです。
現在はそうではないようですが
その当時は自分が演れなかった時残念なので
小説も漫画も読まないようにしていたというのです。
一生さんをそんな気分にしてしまった小説を
ぜひとも読んでみたくて漸くこの度読了しました。
物語は本間ミチルという盲目の若い女性の視点と
ある事情からミチルの家へ不法侵入しミチルに知られぬよう
息を潜めながら居続ける
大石アキヒロという若い男性の視点からなるものです。
映画「暗いところで待ち合わせ」Rakuten Tvより
序盤は物語の伏線が至るところに散りばめられていて
後にああそうだったのかと全体像の輪郭がはっきりします。
読み進めるとなんとも言えない不思議な様子が窺い知れて
だんだんと集中力が増しこの先どうなるのか早く知りたいという
欲求度合いも強まります。
何せ盲目の若い女が一人住む家に
ドアが開いた空きに若い男がサッと入り込み
ひっそりと部屋の片隅に居続けるという状況の物語なのです。
人は他人という存在の前には橋の無い川が流れているのを
多くの人が感じていると思うのです。
その川にすぐ橋をかけて渡れる人と
そうでない人がいるというのもわかります。
不器用な人間であればあるほど相手を慮りすぎたり
相手との距離間を必要以上に感じたりして
相手との間に橋すら架けることもせず
悶々として頭でっかちになり
大層な世界を造りあげてしまう事もあります。
これを突き崩すにはコミュニケーションという橋が必要なのです。
生きるのに不器用でもいいから
人とのコミュニケーションは大切です。
実はこの作品を読んでいて
ミチルとアキヒロがずっと押し黙っていた気がしないのです。
アキヒロは始めから、ミチルは途中からずっと話していたような
そんな気にさせるような二人の心の動きが暗闇の中を交差します。
ミチルはアキヒロを受け入れアキヒロもミチルを受け入れます。
映画「暗いところで待ち合わせ 」 Movie Walkerより
他人を受け入れるということは優しさであり
受け入れられるにはアプローチなしではだめなんだなあと
二人は暗闇の中で充分に思い知ったのだろうと想います。
驚いたのは色々あって全てが解決された後
アキヒロが転がり込むようなかたちで再び
ミチルの家にいるというシチュエーションが
なんとも漫画チックで‥
私には少し都合よく感じられてしまいました
いきなり、緊張物語から純愛物語に移行していきます
エピローグに違和感を覚える私ですが
役者さんがこの本を読んだら
アキヒロは演じるに魅力的な人物だと思うでしょうね‥
セリフはほとんどない状態で
顔の表情と体の動きだけで表現するということは
実力が伴わなければなかなか難しそうです。
これ以上はネタバレになりますので‥
後は皆さん読んでのお楽しみです面白い小説でした。
映画「暗いところで待ち合わせ」は2006年11月25日公開でした。
キャストはミチル役に田中麗奈さん、アキヒロにチェン・ボーリン他。
ああこの時一生さんにアキヒロ役のオファーがあったら
ああ‥どんなに良かったか
一生さん25歳かあ‥で田中麗奈さんかあ‥
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遅ればせながら読了しました。
乙一さんの小説を読むのは初めてではなく
2003年の短編集「ZOO」を読んだ事があります。
独特な世界観が漂う短編集でした。
どちらかと言うとミステリー要素の強さを感じましたが
ダークな色合いが強いかと思えばそうでもなく
しっかりと光を感じとる事ができる内容だったと記憶しています。
今回「暗いところで待ち合わせ」を限定して読んだ理由は‥
以前高橋一生さんがこの作品を読んだ時
登場人物のアキヒロをすごく素敵だなと思ったそうです。
役者さんですからご自分をアキヒロに見立て
映像の中での全体像を想像したと想います。
その後、まさにこの作品が映画化される事を知った一生さんは
思い入れのあるアキヒロという人物のお芝居を
自分で演ることができない悔しさにより
生じてしまった負の感情を
ジョギングをして抜きさろうとした程だったそうです。
現在はそうではないようですが
その当時は自分が演れなかった時残念なので
小説も漫画も読まないようにしていたというのです。
一生さんをそんな気分にしてしまった小説を
ぜひとも読んでみたくて漸くこの度読了しました。
物語は本間ミチルという盲目の若い女性の視点と
ある事情からミチルの家へ不法侵入しミチルに知られぬよう
息を潜めながら居続ける
大石アキヒロという若い男性の視点からなるものです。
映画「暗いところで待ち合わせ」Rakuten Tvより
序盤は物語の伏線が至るところに散りばめられていて
後にああそうだったのかと全体像の輪郭がはっきりします。
読み進めるとなんとも言えない不思議な様子が窺い知れて
だんだんと集中力が増しこの先どうなるのか早く知りたいという
欲求度合いも強まります。
何せ盲目の若い女が一人住む家に
ドアが開いた空きに若い男がサッと入り込み
ひっそりと部屋の片隅に居続けるという状況の物語なのです。
人は他人という存在の前には橋の無い川が流れているのを
多くの人が感じていると思うのです。
その川にすぐ橋をかけて渡れる人と
そうでない人がいるというのもわかります。
不器用な人間であればあるほど相手を慮りすぎたり
相手との距離間を必要以上に感じたりして
相手との間に橋すら架けることもせず
悶々として頭でっかちになり
大層な世界を造りあげてしまう事もあります。
これを突き崩すにはコミュニケーションという橋が必要なのです。
生きるのに不器用でもいいから
人とのコミュニケーションは大切です。
実はこの作品を読んでいて
ミチルとアキヒロがずっと押し黙っていた気がしないのです。
アキヒロは始めから、ミチルは途中からずっと話していたような
そんな気にさせるような二人の心の動きが暗闇の中を交差します。
ミチルはアキヒロを受け入れアキヒロもミチルを受け入れます。
映画「暗いところで待ち合わせ 」 Movie Walkerより
他人を受け入れるということは優しさであり
受け入れられるにはアプローチなしではだめなんだなあと
二人は暗闇の中で充分に思い知ったのだろうと想います。
驚いたのは色々あって全てが解決された後
アキヒロが転がり込むようなかたちで再び
ミチルの家にいるというシチュエーションが
なんとも漫画チックで‥
私には少し都合よく感じられてしまいました
いきなり、緊張物語から純愛物語に移行していきます
エピローグに違和感を覚える私ですが
役者さんがこの本を読んだら
アキヒロは演じるに魅力的な人物だと思うでしょうね‥
セリフはほとんどない状態で
顔の表情と体の動きだけで表現するということは
実力が伴わなければなかなか難しそうです。
これ以上はネタバレになりますので‥
後は皆さん読んでのお楽しみです面白い小説でした。
映画「暗いところで待ち合わせ」は2006年11月25日公開でした。
キャストはミチル役に田中麗奈さん、アキヒロにチェン・ボーリン他。
ああこの時一生さんにアキヒロ役のオファーがあったら
ああ‥どんなに良かったか
一生さん25歳かあ‥で田中麗奈さんかあ‥
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2019年11月30日
「好き」第1話チャーシュー麺‥
昨年の10月期の「僕らは奇跡でできている」から
1月期の「みかづき」、4月期の「東京独身男子」
7月期の「凪のお暇」と続き
高橋一生という俳優を思う存分満喫出来た一年でした。
しかしここへきて一生さんの供給が途絶えてしまいました。
やはりドラマや映画や舞台のいずれかは観続けたい
というのがファン心理なのでございます。
ピエール瀧さんの問題がなければ
映画「ロマンスドール」は今頃すでに
公開されている頃だと思うのです。
でも待つ時間が長いほど感激度は増しますので我慢します。
「ロマンスドール」は来年1月24日公開です
で、ぽっかりと空いたこの時期に
過去作をゆっくりと鑑賞しました。
1958年、1981年、2000年という異なる3つの時代を
田中麗奈さんが演じる2000年制作の
インターネット映画「好き」を久しぶりに観ました。
1話が30分のオムニバス形式の作品で
2001年3月までに500万アクセスを突破したそうです。
その中の1958年の第1話「チャーシュー麺」という作品に
高橋一生さんが出演されています。
ラーメン屋の店員古賀直子に主演の田中麗奈さん
アウトローに生きる青年安藤秋生に高橋一生さん
ラーメン屋の主人に石丸謙二郎さんという役どころです。
福岡の久留米から集団就職で上京し
横浜の裏通りの鄙びたラーメン屋「みなと軒」で働く直子(田中麗奈)は
ある日チンピラに追われている安藤秋生(高橋一生)の
ただならぬ様子を見てかくまうことになります。
チンピラから無事逃れることが出来た秋生でしたが
所持していたピストルを
「みなと軒」のゴミ箱へ誤って置いてきてしまいます。
後日直子はゴミ箱の中からピストルを見つけ
自分のアパートへ持ち帰ります。
秋生に問われた直子はピストルを渡すと
秋生はお礼にとラムネを直子に渡し海辺に誘います。
話しをしているとお互い同郷である事がわかるのです。
この時秋生は19歳直子は17歳です。
二人は昭和30年代、集団就職という形態で
玄海という列車に乗り上京し就職したのです。
秋生は天井で回る3機の扇風機を凝視し
速度の違いに気がつくほどの
留まった精神状態で硬い座席の玄海に乗車していたのす。
15歳の少年達全てが希望に燃え上京していたとは思えません。
開口一番「さびしくないか?」と直子に聞いた
秋生の心の中、胸の内は充分推察できます。
当時大企業に採用された少年はいいのですが
零細企業へ就職した少年などは大変な思いをしたようです。
労働条件が考えられないほど悪く
ゆえに離職率は高かったようです。
右も左もわからない都会にいきなり放り出された
15歳の身の上に起きる栄光と挫折の状況は
あまりにも過酷で切ないです。
当時パーセンテージの高かった非行少年と言われる少年達は
故郷を離れ挫折し離職となり
行き場のない状況下での結果だったのだと思います。
秋生を見ているとそこまで思いがめぐります。
そして‥秋生は直子がゴミ箱から見つけ出したピストルで
組長を狙撃する計画を打ち明けるのです。
その後全てをやり終えた秋生は
閉店間近の「みなと軒」へやってきます。
自首する前に「みなと軒」のラーメンを食べたかったと
秋生は言います。
直子は主人の帰った後の調理場で
ラーメンを作ります。
そして‥‥チャーシューを5枚ラーメンの上へ置きます。
狙撃事件のニュースを見ていた店のお客が19歳の秋生が犯した罪は
5年だと言ったのを思い出したのです。
直子は一枚が一年5枚だから5年と決め
チャーシューを置いたのです。
この作品は昔観た東映のヤクザ映画を
どこか彷彿とさせるものがありました。
舞台は昭和33年の横浜の港近くで営む
裏通りというより路地裏の鄙びたラーメン屋です。
戦後13年位の横浜の事情はまだ不安定だったと思います。
集団就職で田舎から上京したものの
すっかり横道に逸れてしまった秋生ですが
懐かしい故郷の匂いを直子に求め
直子もまたきっかけはどうであれ
同郷の秋生の事が気がかりになるのです。
人を好きになるのに事情や状況は関係ありません。
危うそうな秋生と健気な直子。
二人の心に潜む寂しさという共通の思いが重なりあうことで
お互いの事が胸に宿っていったのでしょう。
田中麗奈さんは全てを表情で演じていたと言っても過言ではなく
まだお若い時期なのに改めてこの方の芝居の凄さを感じました。
高橋一生さんはアウトローで鉄砲玉のような危うさを持つ青年役ですが
土臭さと寂しさとそして怒りを含んだ何とも言えない様子を
やはりその表情で充分に感じる事ができました。
30分という短い作品なのですが
昭和30年代の空間がそこに広がり
少しかび臭く感じる空気が漂よっていて
年代的に郷愁にかられました。
この作品は余韻をもたせて終わりますが
二人のその後を知りたくなります。
一回観たら忘れられない作品です。
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1月期の「みかづき」、4月期の「東京独身男子」
7月期の「凪のお暇」と続き
高橋一生という俳優を思う存分満喫出来た一年でした。
しかしここへきて一生さんの供給が途絶えてしまいました。
やはりドラマや映画や舞台のいずれかは観続けたい
というのがファン心理なのでございます。
ピエール瀧さんの問題がなければ
映画「ロマンスドール」は今頃すでに
公開されている頃だと思うのです。
でも待つ時間が長いほど感激度は増しますので我慢します。
「ロマンスドール」は来年1月24日公開です
で、ぽっかりと空いたこの時期に
過去作をゆっくりと鑑賞しました。
1958年、1981年、2000年という異なる3つの時代を
田中麗奈さんが演じる2000年制作の
インターネット映画「好き」を久しぶりに観ました。
1話が30分のオムニバス形式の作品で
2001年3月までに500万アクセスを突破したそうです。
その中の1958年の第1話「チャーシュー麺」という作品に
高橋一生さんが出演されています。
ラーメン屋の店員古賀直子に主演の田中麗奈さん
アウトローに生きる青年安藤秋生に高橋一生さん
ラーメン屋の主人に石丸謙二郎さんという役どころです。
福岡の久留米から集団就職で上京し
横浜の裏通りの鄙びたラーメン屋「みなと軒」で働く直子(田中麗奈)は
ある日チンピラに追われている安藤秋生(高橋一生)の
ただならぬ様子を見てかくまうことになります。
チンピラから無事逃れることが出来た秋生でしたが
所持していたピストルを
「みなと軒」のゴミ箱へ誤って置いてきてしまいます。
後日直子はゴミ箱の中からピストルを見つけ
自分のアパートへ持ち帰ります。
秋生に問われた直子はピストルを渡すと
秋生はお礼にとラムネを直子に渡し海辺に誘います。
話しをしているとお互い同郷である事がわかるのです。
この時秋生は19歳直子は17歳です。
二人は昭和30年代、集団就職という形態で
玄海という列車に乗り上京し就職したのです。
秋生は天井で回る3機の扇風機を凝視し
速度の違いに気がつくほどの
留まった精神状態で硬い座席の玄海に乗車していたのす。
15歳の少年達全てが希望に燃え上京していたとは思えません。
開口一番「さびしくないか?」と直子に聞いた
秋生の心の中、胸の内は充分推察できます。
当時大企業に採用された少年はいいのですが
零細企業へ就職した少年などは大変な思いをしたようです。
労働条件が考えられないほど悪く
ゆえに離職率は高かったようです。
右も左もわからない都会にいきなり放り出された
15歳の身の上に起きる栄光と挫折の状況は
あまりにも過酷で切ないです。
当時パーセンテージの高かった非行少年と言われる少年達は
故郷を離れ挫折し離職となり
行き場のない状況下での結果だったのだと思います。
秋生を見ているとそこまで思いがめぐります。
そして‥秋生は直子がゴミ箱から見つけ出したピストルで
組長を狙撃する計画を打ち明けるのです。
その後全てをやり終えた秋生は
閉店間近の「みなと軒」へやってきます。
自首する前に「みなと軒」のラーメンを食べたかったと
秋生は言います。
直子は主人の帰った後の調理場で
ラーメンを作ります。
そして‥‥チャーシューを5枚ラーメンの上へ置きます。
狙撃事件のニュースを見ていた店のお客が19歳の秋生が犯した罪は
5年だと言ったのを思い出したのです。
直子は一枚が一年5枚だから5年と決め
チャーシューを置いたのです。
この作品は昔観た東映のヤクザ映画を
どこか彷彿とさせるものがありました。
舞台は昭和33年の横浜の港近くで営む
裏通りというより路地裏の鄙びたラーメン屋です。
戦後13年位の横浜の事情はまだ不安定だったと思います。
集団就職で田舎から上京したものの
すっかり横道に逸れてしまった秋生ですが
懐かしい故郷の匂いを直子に求め
直子もまたきっかけはどうであれ
同郷の秋生の事が気がかりになるのです。
人を好きになるのに事情や状況は関係ありません。
危うそうな秋生と健気な直子。
二人の心に潜む寂しさという共通の思いが重なりあうことで
お互いの事が胸に宿っていったのでしょう。
田中麗奈さんは全てを表情で演じていたと言っても過言ではなく
まだお若い時期なのに改めてこの方の芝居の凄さを感じました。
高橋一生さんはアウトローで鉄砲玉のような危うさを持つ青年役ですが
土臭さと寂しさとそして怒りを含んだ何とも言えない様子を
やはりその表情で充分に感じる事ができました。
30分という短い作品なのですが
昭和30年代の空間がそこに広がり
少しかび臭く感じる空気が漂よっていて
年代的に郷愁にかられました。
この作品は余韻をもたせて終わりますが
二人のその後を知りたくなります。
一回観たら忘れられない作品です。
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